出光美術館 屏風の世界

日本の美・発見IV 屏風の世界 −その変遷と展開
2010年6月12日(土)- 7月25日(日)
http://www.idemitsu.co.jp/museum/honkan/

掲示されていた解説ボードによれば、最古の屏風は正倉院の「鳥毛立女」屏風なのだそう。なるほど、そういえばあれは屏風なのだった。また、それ以降の古い作品として、平安時代の「山水屏風」(国宝)が京博にあるとのこと。東博にも山水図を描いた平安時代の屏風があるけれども、かなり退色が進んでいて何が描いてあるかイマイチ分かりにくい。画像では京博の方が保存状態が良さそう。一度、見てみたいなあ。


宇治橋柴舟図屏風」(六曲一双のうち右隻、桃山時代、紙本金地着色、138.3x331.2cm)

東博にある所蔵品の中で私の最も好きな作品のひとつ、「柳橋水車図屏風」(作者不明)とほぼ同様の構図の絵。「柳橋水車図屏風」は世の中にいくつかあって、これらは長谷川等伯の一派が描いたらしく、今年の冬にあった東博の「長谷川等伯」展でも、長谷川等伯自身の作となっていた「柳橋水車図屏風」が出ていた。ちなみにこれは香雪美術館所蔵の所蔵だったが、東博の「柳橋水車図屏風」の六曲一隻のものを、六曲一双に引き延ばしたような構図で、明らかに間延びしていた。東博は、自分達の所蔵する方が優れていると密かにほくそえんでいたに違いない。
で、この「宇治橋柴舟図屏風」は、「柳橋水車図屏風」にとてもよく似ているのだけど、それに加えて柴舟、松、島等が描き込まれているところ、画面が未整理なところ等を考えあわせると、「柳橋水車図屏風」の構図が成立する前段階の前の作品という気がしなくもないけれど、どうなのかはよく分からない。


「江戸名所図屏風(八曲一双、江戸時代、紙本金地着色、(各)107.2x488.8cm)

浅草あたりから品川までの名所図。私にとって気になってしまうのは、古典芸能関係の描写。

まず、神田明神お能の「加茂」らしきものをやっている。能舞台の橋掛リを天冠、白い長絹を着けた女性の面をした人が去っていき、舞台中央では、べし見の面に唐冠、赤頭、狩衣、半切という出立の人が舞を舞っている。見所は町人風の人たちで埋め尽くされてるので、勧進能だろうか。そういえば、以前、高島屋で細身美術館の展示があった時に見た「江戸名所有楽図屏風」にもほぼ同じ構図の能楽の公演風景があった。この時代、「加茂」はそんなに人気曲だったのだろうか?それとも、実はどちらかの絵師がお能を見たことが無く、そのままこの部分の絵を引き写した可能性もあったりして。

それから、木挽町のあたりでは、女歌舞伎が行われていて、よく女歌舞伎の絵にある、役者が群舞で輪になって踊るというのをやっている。花道は能舞台の橋掛リと同じ位置に付いている。

そのお隣は一人遣いの人形浄瑠璃。舞台中央には金の烏帽子に萌葱の狩衣のお公家さんのような人が馬に乗って、上手(かみて)方向に馬を歩ませている。その前後には従者のような人たち。どんな演目なのだろう。馬+公家というと、「伊勢物語 (featuring 在原業平)」の世界のお話かなあと思ってしまうけど…。
興味深かったのは、太夫と三味線が上手の舞台袖ではなく下手の舞台裏に居て、二人は客席方向を向き、床几に座っている点。それに、三味線弾きが太夫の右隣に居て、太夫は床本を持っていない(当然見台もなし)のも面白い。人形遣いは上半身裸。今の文楽とはだいぶ違っている。

ほかにも赤頭に忍者のような装束を着けて倒立した二人組がいたり(蜘蛛舞?)、人の家の庭先で画板のように首からぶら下げた箱の上の三体の人形を操る傀儡師と思われる二人連れがいたりする。この傀儡師の公演の観客は見事に母親と子供ばかりなので、そういう子供向けの演目なのだろうか。

なんだか、絵の中に入って確認しに行きたくなってしまう。