国立能楽堂 普及公演 項羽

解説・能楽あんない ひなげし一輪  村瀬和子(詩人)
狂言 因幡堂(いなばどう) 茂山千三郎(大蔵流
能  項羽(こうう) 金井雄資(宝生流
http://www.ntj.jac.go.jp/performance/3234.html

都合により、項羽のみの鑑賞となりました。

項羽」は、「四面楚歌」という熟語や「虞美人草(ひなげし)」の花の名の由来となった項羽の最期の合戦のお話。

私個人は「四面楚歌」という熟語にも「虞美人草」にもあまり深い思い入れは無いけれども、シテの金井雄資師が好きなので、楽しみにしていた。なぜ金井雄資師が好きかというと、以前、何かの会の受付でお客さんに笑顔で応答しているお姿がダンディだったから…というのはホントだけどウソで、ホントのホントは、謡いも舞もすっきりとして、かつ、花があるから。最近、宝生流の謡が好きなのだ。以前、私が宝生流の謡に対して持っていた印象は、「声が小さくて、よく聞こえん!」というものだった。しかし、慣れると、案外、好きな感じの謡の時が多いということに気がついた。観世流梅若玄祥師の門下の方々の謡と似て、音程がきちっと定まっているし、凝った旋律の箇所の謡が美しい。

今回観た「項羽」で印象的だったのは、後場の虞氏(虞美人)が身投げをするところ。観る前は、勝手に「鵜飼」のように舞ながら、四面楚歌の状況や虞美人のことを回想するのかな、と思っていたので、事前に詞章を読んだときは、そーそー身投げするんだよね、という程度にしか思っていなかった。
しかし、実際の舞台では、四面楚歌となった状況で、虞氏が「虞氏は思ひに堪えかねて」と謡い、舞台正面に置かれた一畳台の上から正先に飛び降りて身投げをし、ワキ座に消えていってしまう。項羽は慌てて一畳台の上に飛び乗り、一畳台の上から虞氏を必死に探すが、虞氏はもういない。「項羽は虞氏が別れと 我が身のなりゆく草場の露のもろともに、消え果てし悲しさ、思ひ出づれば劔も鉾も皆投げ捨てて、身をくだくばかりに口惜しかりし 夢物語ぞ、哀れなる」となり、全身で口惜しさと哀しみを表現するのだ。私が観たことのあるお能の中で舞台で身投げした女性といえば浮舟だが、シテの浮舟でさえ虞美人みたいに正先に身投げしたりはしないので(浮舟は確か常座でくるっと後ろ向きになって身投げした体となって中入りした)、この場面が考えていたよりずっと劇的で驚いてしまった。さらに、項羽は、全身で嘆き悲しむところから一気に盛り上がり、「あらき声々聞けば腹立ちいで物みせんと自ら駆け出で、敵を近づけ取っては投げすて、または引きふせてねぢ首とりどりに恐ろしかりける勢ひ」となって、戦いの様子を再現してみせると、「運つきぬれば、烏江の野辺の、土中の塵とぞ、なりにける」で、消えていってしまう。

また観てみたい、とてもドラマティックな曲だった。