北斎の音楽を聴くII 〜人形浄瑠璃でみせる北斎の世界

北斎生誕250年記念 北斎の音楽を聴くII 〜人形浄瑠璃でみせる北斎の世界
□ 日時 2010年12月12日(日)
□ 時間 開演18:30(開場18:00)
□ 出演 竹本千歳大夫、豊竹睦大夫、豊竹靖大夫[太夫]
竹澤宗助、鶴澤清志郎、鶴澤寛太郎[三味線]
桐竹勘十郎、吉田一輔、桐竹紋臣、桐竹紋秀、吉田簔紫郎、吉田簔次、桐竹勘次郎、桐竹勘介[人形]
茂手木潔子(有明教育芸術短期大学教授・日本音楽研究)[企画監修・案内人]
□ 曲目 第一部:トークセッション&デモンストレーション
       /葛飾北斎画『絵本浄瑠璃絶句』をめぐって
第二部:素浄瑠璃文楽/《恋女房染分手綱》より
(1) 素浄瑠璃 道中双六の段
(2) 文楽人形浄瑠璃 重の井子別れの段
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北斎が描いた人形浄瑠璃の絵本『絵本浄瑠璃絶句』にある演目を、実際に文楽の人に実演してもらおうという企画。

□ 曲目 第一部:トークセッション&デモンストレーション
       /葛飾北斎画『絵本浄瑠璃絶句』をめぐって

企画監修・案内人の茂手木潔子先生といえば、私にとっては『文楽 声と音と響き』というご著書が印象的。この本には文楽の基本的な概要が書かれているが、一番ページを割いてあるのは三味線と太夫の主な旋律型(ヲクリ各種、三重各種、落シ、表具、冷泉等々)についてだ。それも五線譜で採譜しているので、西洋楽器しか習ったことの無い人間には大変分かりやすかった。そういう訳で今回は義太夫節に関する音楽的な話もあったりするのかな?と少し期待したが、今回はそのような話には触れられなかったのでちょっと残念。

それでも宗助さんが『仮名手本忠臣蔵』の九段目の虚無僧に扮する加古川本蔵が尺八で吹く「鶴の巣籠もり」の部分を三味線で弾いてくださったりして得した気分。歌舞伎ではここの場面はどう処理されていただろう?そのまま尺八の音だったような気がする。文楽だって黒御簾があるのだから尺八で表現してもおかしくないような気がするが、こういう重要な場面は何があっても絶対に三味線で弾くということなんだろうか。他に千歳さんが、北斎の『絵本浄瑠璃絶句』にある「重の井子別れの段」、「山科閑居の段」、「新吉原揚屋の段」にある詞章を実際に語られた。重の井子別れの段の部分は実際には「三吉不礼の段」と書いてあり、千歳さんによれば、「三吉うれひの段」という呼び名もあるのだとか。

また、音楽的なお話はほとんどなかったけど、代わりに茂手木先生は北斎が楽器を沢山描いたというお話をされていた。例えば、八丁鉦(はっちょうかね;念仏踊り等で叩いたりする金属製の鉦)、桶胴、馬齢、鰐口、鈴、馨子(けいす;仏壇にあるチーンとならすやつです)、唐人笛(チャルメラ)等々。タンバリンを遊女達が盆踊りで鳴らしている図も。そういえば、先日、紀尾井ホール常磐津を聴いた時、竹内道敬先生が、北斎が岸澤式佐について書いており、「音の無いものを音で表現する」としているとおっしゃっていた。そこで例として蛍の光が挙がっているそうだが、実際には式佐の曲に蛍の光という曲はないのだとか。義太夫でよくあるように、ある曲のある三味線の旋律が蛍の光を表しているというようなことだろうか。北斎は音楽好きだったのかも。

他に面白かったのは、碁盤人形の話。浮世絵等でたまに碁盤の上で人形を遣っている絵を見たりするが、お座敷で人形を即興的に遣っているのだと思っていた。ところが、碁盤人形というちゃんとした名称のジャンルがあり、それは本当に碁盤の上で遣っていたらしい。

それから、北斎浄瑠璃との関連でいうと、千歳さんのお話では北斎デザインの見台というのがあるのだとか。白木の物らしいが、白木の見台は、日向嶋の段、忠臣蔵の四段目、追善等でしか使わないものなのだそう。なるほど、それで咲師匠は今年2月の日向嶋の段では白木の見台を使われていたのだ(確か)。しかし、日向嶋、四段目、追善の共通項って何なのだろう。後者2つだったら「禊祓(みそぎはらい)」とかだろうかと思い、後日webを検索をしてみたところ、『古事記』の、イザナギイザナミのいる黄泉の国から帰ってきて日向の小門の阿波岐原で「禊祓ひたまひき」という一文がひっかかってきた。うーむ、日向嶋に関しては禊祓の「日向」つながりなどというのはあるのだろうか?もしそうなら上手く「禊祓」でつながるが、内容ということになると、日向嶋の段そのものは「禊祓」とは関係無いように思う。それとも単に花菱屋や日向島を中心に再構成して『娘景清八島日記』として初めて演じられたのがたまたま太夫の追善興行だったからということかしらん。謎です。話を戻すと、その見台というのは北斎の絵が描いてあるのではなく、あくまで北斎のデザインなのだそう。となると、透かし彫りとかだろうか。蒔絵は漆を塗らないと出来ないしなあ。平成25年開館予定の「すみだ北斎美術館」の学芸員の皆様におかれましては、草の根を分けてでも北斎デザインの白木の見台の持ち主を探し出して、所有者様に参考展示してもらえるよう説得して下さいませ。


ちなみに北斎の『絵本浄瑠璃絶句』は浄瑠璃のサワリを記したものに葛飾北斎の絵と絶句を添えたもの。序には文化十二年(1815)とあり、その頃出版されたようだ。本書は人形浄瑠璃版で近日、歌舞伎版が出ると宣伝があるようだが、実際には歌舞伎版は出なかった模様という。
残念ながら当日、会場で全体を見ることはできなかったので、後日、図書館で北斎の『絵本浄瑠璃絶句』を『北斎の絵本挿絵』(岩崎美術社)で確認。なかなか面白かった(とゆーか、ほんとは同じ本に収載されている『踊独稽古』というのの方が衝撃的に面白いのだけど、触れたら長くなるので触れません)。1項に1枚の絵で全部で56項ある。しかし、全部が異なる外題というわけではなく、ダブっているものもある。例えば、『妹背山婦女庭訓』は、離れた頁に「妹山の段」、「背山の段」、「馬子歌の段」と三つもあったりする。他にも、『奥州安達原』も、「軍物語の段」、「東方館の段」、「一つ家の段」(私の解読が正しければ。先の二つは何のことだかよく分からないので、違う可能性大?)と、三つ。他に二つダブっているのが『祇園祭礼信仰記』、『川崎音頭』。思いもよらない外題でダブっていて思いもよらない段がとられたりしている。思いもよらない段の選択は他の演目にも言え、『近江源氏先陣館』の九つ目、『仮名手本中心蔵』の九段目、『芦屋道満大内鑑』の四つ目(どうも二人奴の段らしい)等々、今は代表的とはされないような段が選ばれている。
『絵本浄瑠璃絶句』に採用された段の傾向についてまとめると、総じて、(1)近松半二大健闘、(2)お江戸が舞台はやはり人気(『神霊矢口渡』、『碁太平記白石噺』、『加賀見山旧錦絵』、『恋娘昔八丈』、詳細不明だけど『めぐろ山比翼塚』花川戸の段などというものもある)、(3)人気の外題は今とあまり変わらないけど人気の段は今とは必ずしも同じならず、というところだろうか。ひょっとすると、後日発刊予定だった幻の歌舞伎バージョンと被らないように演目の選択がされたのかもしれない。それにしても、北斎は写真のない時代にその全ての段のサワリの場面の絵を描いているわけで、相当熱心に人形浄瑠璃を見ていたのだろう。


第二部:素浄瑠璃文楽/《恋女房染分手綱》より
(1) 素浄瑠璃 道中双六の段

睦さん、清志郎さんがシンで靖さん、寛太郎くんがツレ。この段は多分初めて聞いたが、なかなか面白かった。最後は道中双六らしく、都からお江戸までの東海道の地名が続く。面白いのは、「オット桑名の、舟渡し」とあって、その後はすぐに静岡県の「府中江尻」と続くので、どうも桑名で舟に乗るようだ。以前、何かの本で、京から東海道で江戸に行くには桑名から舟に乗るルートがあると読んだ記憶があるけど、この道中双六も、一部舟ルートになっているらしい。それに清見寺が出てくるのも興味深い。お能の「三井寺」のシテ、千万満の母は三井寺の鐘の音を聴いて「面白の鐘の音やな。我が故郷にては清見寺の鐘の音こそ常に聞き馴れしに」と言うが、江戸時代も有名だったのだろうか、それともそのものずばり「三井寺」からの連想なのか、面白い。何だか東海道を辿ってみたくなった。


(2) 文楽人形浄瑠璃 重の井子別れの段

千歳さん、宗助さんに、勘十郎さんの重の井、簑紫郎さんの三吉。大道具は勘十郎さんが手作りしたそう。というわけで、手摺と中央奥の襖だけの簡素な舞台。でもそのお陰で、この段でのそれぞれの空間の持つ意味がよく分かって非常に面白かった。

たとえば、襖の奥は、重の井にとっての日常の生活だけど、三吉にとっては決して入り込むことの出来ない世界。逆に、屋体から降りた地面は三吉の領分で、重の井はおいそれとこちらには来ない。二人が親子として相対することができるのは、奥の間と外の間にある一間だけなのだ。
最初、一人で手前の一間に居る三吉のところに、重の井が「お菓子さまざま文匣に盛入れ」奥の間から出てくる。三吉は「由留木殿の御内、お乳の人の重の井様とはお前か。そんならおれが母様」と抱きつく。重の井は思わず抱きしめるが、不義の子であり現在、御乳の人として仕えている姫君や慈悲をかけて御乳の人とした殿様の御恩を思えば三吉の母と認めるわけにはいかず、三吉に事情を話し親子の名乗りは出来ないことを告げる。三吉は納得できるはずもなく、「アヽ母様。あんまり遠慮過ぎました。まづ云うて見て下され」泣き入り重の井にすがる。しかし、奥から「お乳の人はどこにぞ。御前から召します」という声が聞こえ、思わず重の井は、三吉を一間から外に押し出す。
屋体と外の地面との段差は、そのまま重の井の世界と三吉の世界との壁でもある。外に出されてしまった三吉はもう重の井とは別世界の人となり、重の井を母と呼べる希望は無くなってしまう。悲しさを堪えて帰りゆく三吉は下手の一番端の手前に、重の井は上手の屋体の端から三吉を見守り、二人の間には手の届かないほどの距離があることが、哀しい三味線の旋律とともに象徴的に表現される。

自分の子供が目の前に居ながら親子の名乗りをすることができず追い返さなければならない重の井の胸の張り裂けるような苦しみと、事情を理解できる程の年に達していないけれども母の思いを察して健気にその場を立ち去る三吉のいじらしさが胸を打ちました。


というわけで、実力派の皆様のパフォーマンスで、大大満足でした。