国立能楽堂 第三回萬歳楽座

第三回萬歳楽座公演
2011年4月1日(金) 午後6時30分
http://www.apollomusic.co.jp/concert_info6.html

藤田六郎兵衛師主催の萬歳楽座の第三回。今回は小鼓四流(大蔵、幸清、観世、幸流)の聴き比べというテーマ…だったそうですが、全然、違いは分かりませんでした。何が違うんだろう?パンフレットには流儀の違いは書いてないばかりか、「皆様は決して流儀を聴き分ける必要はありません」と書いてあるし…と思いつつ、よくよく読むと、(番組解説=藤田六郎兵衛)と書いてありました。主催者自らそう仰るのだから、まあいっか。


一調 「女郎花」 大槻文蔵

「続いてこの川に身を投げて、共に土中に籠めしより」から最後まで。
この日は開演には間に合わなかったけど、大好きな文蔵師には間に合ったので、私にとっては無問題。文蔵師の謡いは、洗練されていていつつも、妄執の焔を感じさせるもの。短い謡いだけでも「女郎花」の世界が彷彿とさせられる。演能もいつか観てみたいと思わされた。


能 「熊野」 読次之伝 村雨留 墨次之伝 膝行留  観世清和

「熊野」といえば、美しく華のある熊野を想像してしまうが、この日の熊野は、母のことを心配し打ち沈む熊野だった。

沢山小書が付いていてなかなか興味深い。まず、「読次之伝」は、以前見た浅井文義師の「熊野」では前半は宗盛、後半は熊野が謡っていたが、今回は「今年ばかりの花をだに。待ちもやせじと心弱き。老の鴬逢ふ事も。涙に咽ぶばかりなり。」の前を宗盛が、当該箇所を連吟で、その後を熊野が謡うという形になっていた。「村雨留」は、笛が今回は盤渉調に。浅井文義師は確か一ノ松で袖にかかった雨を片方ずつ見遣る仕草をされていたと思うが、今回の清和師はそのような仕草はなく、ストレートに「なうなう俄に村雨のして花の散り候はいかに」を謡われていた。母のことを思う一心で袖にかかった雨のことなど気にならないということかしらん。それから「墨次之伝」では「いかにせん。都の春も惜しけれど。なれし東の花や散るらん。」という歌を熊野が短冊に書く際、一気に書くのではなく、途中で筆に見たてた扇で墨を付け直す仕草をする。また、「膝行留」は、常の演出では短冊を宗盛に持っていく時に一度立ち上がって持って行くが、「膝行留」では、膝行して宗盛ににじり寄る。

全体的に、母を思う熊野の真摯な気持ちを強調した演出だったのかも。最後、晴れて母の元に戻れる時も、嬉しそうに宗盛の心が変わる前に急いで帰る、という感じではなく、まさに村雨に濡れる桜のような、憂いのある熊野でした。


このチケットをとったときは、ちょうど桜の時期に、清和師の素敵な熊野が観られるであろうことを楽しみにしていたのだけど、震災やら原発事故やら電力不足やらで思いもしない状況になっているし、そもそも今年はこの時期になっても桜もほとんど咲き始めていないし、随分と目論見から外れたことになってしまった。

でも、お能のすごいところは、こんな状況でもびくともしないところ。「600年以上も続いていれば、こんなこともあるでしょう」と言わんばかりに、いつも通りに進んで行って、観ている方も、何もかも忘れてお能の世界に入り込んでしまった。

<番組>
一調一管 葛城 梅若玄祥藤田六郎兵衛/大倉源次郎(大蔵流
一調 松虫 観世銕之丞/幸 正昭(幸清流)
一調 女郎花 大槻文蔵/観世新九郎観世流
一調一声 玉葛 片山幽雪/片山九郎右衛門/横山春明(幸流)

狂言「石神」
夫 野村万作
妻 野村萬斎
仲人 石田幸雄

能 「熊野」
熊野 観世清和
朝顔 観世喜正
平宗盛 宝生閑
従者 宝生欣哉
笛 藤田六郎兵衛
小鼓 大倉源次郎
大鼓 亀井忠雄