定期公演 鞍馬参り 小塩

定例公演  鞍馬参り 小塩
狂言 鞍馬参り(くらままいり) 善竹忠一郎(大蔵流
能   小塩(おしお) 車之仕方(くるまのしかた) 金井雄資(宝生流
http://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2011/64.html

伊勢物語」ってすごいな、と改めて感じさせられました。


狂言 鞍馬参り(くらままいり) 善竹忠一郎(大蔵流

都合により拝見できず。残念無念。


能   小塩(おしお) 車之仕方(くるまのしかた) 金井雄資(宝生流

ワキの花見の者(宝生閑師)が、大原山に花見に行くと、桜の小枝を肩にかついだ前シテの老人(金井雄資師)が現れる。老人は「大原や、小塩の山も今日こそは、神代も思ひ知られけれ」という歌を引き、大原に二条の后になる高子の御幸のあった時、それに供奉した在原業平の歌だと告げる。そして花見の友に混じらせてくれというと、そのまま消えてしまう。所の者(大蔵千太郎師)に在原業平のことについて尋ねると小塩との由縁について述べ、花見の者は先の老人は在原業平であったことを確信する。小塩明神の化身である在原業平が花見車に乗って現れる。在原業平は、伊勢物語に詠われたありし日の昔を懐かしむと、曙の散り迷う桜の花びらと共に消えてしまうのだった。

「車之仕方」の小書付。宝生流では通常、後シテの在原業平が出てくる時は車の作り物が出てこないそうだが、今回はこの小書のように、「熊野」に出てくる花見車のような車の作り物が出てきた。太鼓入りの曲でした。


事前に詞章を『謡曲大観』でチェックした時に、「(在原業平の霊が雲林院で二条后との思い出を懐かしむ)『雲林院』の類曲」と書いてあって、ちょっといやーな気分になった。というのも、かつて「雲林院」を観た時、シテの在原業平は私のイメージと全然違って、「ぼくちゃん、業平くんだもーん!」とか言い出しそうな感じに、大変、ショックを受けたから。特に八の字の気弱そうな眉にふっくらとした頬を持つ面と、能楽の装束としてはふわふわしている指貫が気に入らなかった記憶がある。そのふわふわとしてひ弱な感じが、武官をしていて、「体貌閑麗。放縦ニ拘ハラズ。(美丈夫で、勝手気ままな性格)」と『三代実録』に記載されている風采を持ったという業平のイメージと全く合致しなかったのだ。

今回のは面も「中将」で、やはりふっくらとした面立ちで困ったような八の字の眉をしていて、装束は烏帽子に老懸、オフホワイトの狩衣に紫に鳥襷の文様の指貫を履いており、最初は「いやーな予感が的中した」と思った。しかし、「ふっくらとした」という言葉からの連想で、「源氏物語絵巻」や「伊勢物語絵巻」、待賢門院や後白河院等の上流階級の人々が納経した美麗な写経等に見える大和絵の中の公達の絵柄が、皆、ふっくらとした顔立ちをして、指貫を履いていたということを思い出した。そして、この下ぶくれで困ったような顔をした面をして指貫を履いたシテは、中世のお能の世界観を通して見た、平安貴族の姿をしているのだ、と思い至った。考えて見れば当たり前だけど、在原業平という実在の人物を軸として、「伊勢物語」という文学、それを絵画にしたりモチーフにとった工芸品にした美術、そしてお能といった芸能がお互いに影響を与え合って、「伊勢物語」の世界をより陰影の深いものにしているのだ。

そう思うと、謡に「月やあらぬ」、「春日野」、「忍ぶもぢ摺り」、「唐衣」、「武蔵野」等々「伊勢物語」由縁のモチーフが出てくる毎に、目の前の金井雄資師の優雅な舞や松田弘之師の表情豊かな笛、宝生流の中高音の抑揚に特徴のある謡のその背後に、その段のお話や伊勢物語絵巻の絵が思い出され、うっとりとしてしまう。桜のお能としては「西行桜」や「熊野」も素敵だけど、イメージ喚起力という点では、「伊勢物語」には敵わない。やはり、私は修羅物等よりは、こういう作品の方が好きだな。


ところで、最近、なんとなく、宝生流の特徴のようなものが分かってきた気がする。私が感じている宝生流の謡の特徴は、まず、(1)中高音の響きを重視している点(金剛流観世流の梅若会が力強く低音を響かせるのと比較して)、それから、(2)旋律を上り下りする時(特に強調すべき詞章や上歌・下歌、またクセ等で比較的小刻みになされている場合)、スラー(二つの音をなめらかに繋げる演奏法)で移行せず、心持ち装飾音を付けるようにして、あるいは、こぶしをきかせるようにして音程差を強調して移行する謡い方があり、この(1)と(2)の条件を満たした箇所を聴いたりたりすると、「おお、宝生っぽい」と思う。こうやって特徴を整理してみると、私の好きな近藤乾之助師の謡は、乾之助師独特の謡のように思っていたけど、(私が感じている)宝生流の謡い方の王道を行く謡い方な気がしてきた。もっと色々聴いてみると、もっとよく分かるかも。