東京国立博物館 記念講演会「能と仏教」

特別展「手塚治虫ブッダ展」(2011年4月26日(火)〜6月26日(日) 本館特別5室)記念講演会「能と

仏教」
日程 2011年6月4日(土)
時間13:30 〜 15:00
会場平成館-大講堂
演題「能と仏教」 講師観世清和能楽観世流二十六世家元)
http://www.tnm.jp/modules/r_event/index.php?controller=past_dtl&cid=1&id=5402

観世流宗家観世清和師の講演。「道成寺de道成寺」(←すてきでした)の演能のビデオを流したり、お弟子さんに所作をひと通りやらせたり、寸劇あり、お仕舞あり、お謡ありの盛りだくさんの内容でした。

普通、ご宗家ともなれば、どっしりと座って、コホンと軽く咳払いでもすれば、お弟子さん達が一から十まで手筈を調え…って感じなのかなと思ってたのですが、どうも万事ご自分の思った通りしないと気が済まないお方のよう(何となく演能からもそんな感じが察せられまする)。演能のビデオを流すのに自分で演台を抱えて舞台端に運んだり、展示していた装束を片付けたり、ビデオを流すお弟子さんに、「もっと音、大きく、大きく!」と指示したりと、大忙しであらせられるのでした。

また、大変気さくなお方というか、自虐ネタ炸裂で、さすが物心付いた時からお舞台に上がられている方だけあって、観客を飽きさせることが無いのでした。たとえば、今回アニメ映画「手塚治虫ブッダ」に宗家がブッダの父親役(スッドーダナ王)の声で出演されたご縁で、トーハクで講演されたそうなのですが、アフレコの出来は、ご自身の評によれば「お能はプロ中のプロだが、アフレコは切符を買って観ていただくほどの出来ではない」とのこと。しかしお弟子さん達からは、「シッダールタを叱責するところが、特に素晴らしく、普段の宗家そのものの自然な感じがよく出ていた」と絶賛されたとか…。他にも、「よく腹式呼吸って言いますが、お能は違うんですよ。肺呼吸に決まってるでしょ!」とか(こ、これはギャグですよね…?)。あと、『源氏物語』が本説のお能は、所詮フィクションだから本当は好きでないっておっしゃってたなー。とゆーか、本説がフィクションじゃない曲の方が少ないと思うんですけど…。

真面目なお能トリビアに関しては、ほとんど忘れちゃったけど、おシテが人の時は手の指は印を結び、動物の時は指は真っ直ぐ伸ばしてるとか、うろ覚えだけど、能面で若い娘を表す「小面」は江戸時代頃に出来たので、それまでは、『松風』とかも、中年女性を表す「深井」で演じてたとかおっしゃっていた気が。

それから、「江口」の一番最後の、江口が普賢菩薩となって白象に打ち乗って西の空に飛んで行くところを謡って下さり(これがまた素敵でした!)、聴いてる方もうっとりするけれども、演じている方も陶酔するところだとおっしゃったり。また、陶酔した時の方が出来がよく、陶酔しない時があったけどその時はやはり出来がよくなかった、等という興味深いお話もありました。

トリビアだけでなく、主な所作も解説して下さり、さらにお弟子さんがお能の所作を使って寸劇をしてくださったのですが、これがまた面白かったのでした。ストーリーは、「お弟子さんA君のおうちにお弟子さんB君がお呼ばれしたので、お酒を持ち込み、二人して差しつ差されつし、すっかり盛り上がった後、B君がお暇すると、泣き上戸のA君は寂しくなって泣いてしまいましたとさ」というスーパーつまんないものながら、これをお能の所作でやると爆笑というシュールなものでした。

その後、お弟子さん達ばかりウケるのはつまらん!とばかりに、宗家が「芦刈」の笹之段を舞ってくださったのですが、この時ばかりは、さすが能楽界を代表する能楽師の片鱗を遺憾なくお見せになり、「ああ今日はトーハクに来てほんと良かった」とつくづく思わされたのでした。

そして最後は、「老松」を皆で謡いました。東博という場所柄、恐らくお能と歌舞伎の区別もつかないような聴衆が相当数いたのではないかと思うのですが、宗家は容赦せず、まさかの駄目出し連発。お能西洋音楽と違うのだから音が合ってないのを気にしないで声を出して謡いなさい!とか、肩で勢いをつけてアクセントを付けてはイカン!なるべく息は一定で、かつ、出来るだけ吐かないようにしないといけないんです!とか、そういう注意がビシバシ飛んだ。観ているだけではなかなか分からないものだなーと思いました。

大変楽しかったので、次は松涛の観世能楽堂へGO!…と言いたいところですが、私は渋谷駅前のスクランブル交差点からセンター街の辺りが卒倒するくらい苦手な場所なので、ここ数年、月に2回はお能を観ていながらその先にある観世能楽堂にはまだ一度も辿り付いたことがないのです。というわけで、宗家の国立能楽堂その他能楽堂への行幸(?)をひたすら請い願うのでした。でもまあ、そのうち行っちゃうかも。