露のひぬまの朝顔を

ひとつ前の「生写朝顔話」のメモの中で、「露のひぬまの朝顔を、てらす日かげのつれなきに、あはれ一むら雨の、はら/\と降れかし」という歌について私の妄想を書きました。翌日、歌の解釈が間違っていたと気付き、その箇所以降をばっさり削除しようと思っていたのですが、時間がなくそのままにしていましたところ、その箇所について触れたコメントをいただいてしまいました。というわけで、コメントをいただいたのを口実に、削除はせずに、間違っている箇所についてと、自分の楽しみのために勝手に妄想のつづきについて書こうと思います。なお、御察しのことと思いますが、私は日本文学の素養はありませんので、あまり真に受けないで下さいますようお願いいたします。

私はひとつ前のメモで「露のひぬまの朝顔を」の歌の意味について、「照る日に晒されている哀れな朝顔の花の上の露。一村の雨でもはらはらと降ってほしい、露が消えないように」という風に露を主題にして書いてしまいました。が、実際には、「露のひぬ間の朝顔を」と朝顔に焦点があり、「露が乾くまでほどの短い間しか咲かない朝顔を照らす日の光がつれないので、村雨よ、はらはらと降っておくれ、朝顔がもうしばらく咲いているように」というように解釈するのが一般的なようです。


朝顔というのはその生命の短さや移ろいやすい様子を詠まれることが多いようだ。たとえば新古今和歌集曾禰好忠の「おきて見むと思ひしほどに枯れにけり露よりけなる朝顔の花」(秋歌上、343)というように「露よりも命が短い」と表現されている。また、『源氏物語朝顔巻では、源氏が亡き六条御息所の娘、朝顔に「みしをりの露わすられぬあさがほの はなのさかりは過ぎしぬらん」(以前お会いした時より一時も忘れられませんが、朝顔の容色は衰えてしまったのでしょうか?)と揶揄する歌を贈ったりしている。『方丈記』の第一段には、人間とその住居について「言わば、朝顔の露に異ならず。或いは、露落ちて、花残れり。残るといへども、朝日に枯れぬ。或いは、花しぼみて、露なほ消えず。きえずといへども、夕をまつことなし」と表現しており、鴨長明は、どちらも等しくはかないものと考えているようだ。どちらにしても、朝顔話の「露のひぬまの朝顔を」の歌のはかない朝顔には、私たちは深雪ちゃんの運命を重ねて観てしまう。

そして、実は、この歌に似た歌が、中世の御伽草子朝顔の露の宮』というお話の中にある。この『朝顔の露の宮』というのは継子の物語で、梅が枝中納言という人の娘に、朝顔上という美しい姫がいて、このお姫様と、桜木大王という帝の三男、露の宮との恋物語だ。最初、露の宮は朝顔上に恋焦がれ色々と歌を送る。が、朝顔上は朝顔上は7才の時に母が亡くなっていて、その菩提を弔い中将姫と同様に深く仏に帰依していて、一向に返歌を書く気配がない。しかし、露の宮から何度も素晴らしい歌を送られ、とうとう「自分が和歌の道も知らないと思われるのも恥ずかしいし、父母にも申し訳ない」と歌を詠む。その歌が、

朝顔の日陰を待たぬあだし身に曇りな掛けそ空の白雲

という歌だ。「私は日の光が差すのも待たずにむなしくなるような儚い身なので、どうぞ、私に心を掛けて私の成仏を妨げるようなことをしないで下さい」というような意味だろうか。この後、露の宮と朝顔上は結ばれるが、継母が朝顔上を吉野に捨て、朝顔上は亡くなってしまい、露の宮は消えてしまった朝顔上を探して日本中を北は外ヶ浜から南は鬼界島まで放浪し、最後は霊夢により吉野の奥に朝顔の姫の塚を見つけ、その傍らで自害するというストーリーになっている(物語自体はさらに続きがあるのですが)。

で、上記の歌には、「露」「日かげ」というキーワード、そして天気を表す言葉(「雲」)が入っている。となると、同じキーワードが詠み込まれている「露のひぬ間の朝顔を」の歌が、実は上記の歌に対する一種の返歌になっている(『邪魔せずに成仏させてください』とう歌に対して、『村雨よ、はらはらと降って朝顔上をこの世にもうしばらく留めてくれ』という意になっている)ようにとることが出来るのが面白い。この「露のひぬ間」の歌を詠んだ、阿曾次郎くんのモデル、儒学者の熊沢蕃山という人は、どうも儒学だけでなく、国文学にも造詣が深かったようで、『源氏外伝』という源氏物語の注釈書を執筆するほどだったようだ。となると、この御伽草子も読んでいて、この朝顔上の歌に相聞する歌を作ったということもあり得ないことは無い気がしてくる。

また、(多分)司馬芝叟が、「露のひぬ間」の歌と『朝顔の露の宮』の歌やその設定を使って朝顔話の構想を得たのではないかと妄想できるところも面白いところだ。主人公を、朝顔という名前にし、『朝顔の露の宮』の宮に当たる人物には「露のひぬ間」の歌を詠んだ本人、熊沢蕃山をモデルにした阿曾次郎という人物を置き、お家騒動を絡めて、放浪させるという、なかなか入り組んだ呼応関係になっている。さらに、朝顔上が「朝顔の日陰を待たぬあだし身に」という歌を詠うことを決心させることになる、露の宮の渾身の長歌には、「蛍火」「明石」「葦分船」「蜑小船」等が詠み込まれていて、朝顔話の段の名前を連想させる。


というわけで、「露のひぬまの朝顔を」の歌を手がかりに、生写朝顔話の本説は『朝顔の露の宮』なのではなかろうかという妄想に行き着いた訳ですが、『朝顔の露の宮』や、モデルの熊沢蕃山との複雑な呼応関係、お能の「班女」の暗示等を無理無く取り込みひとつの話にまとめていることを考えると、司馬芝叟って実は結構すごい作者なんじゃないかという気がしてくる。司馬芝叟が作った長咄『蕣( あさがお)」』読んでみたくなった。また、それがどういう風に歌舞伎や浄瑠璃に脚色されていくのか等、たどっていくのも色々と楽しそう。