国立能楽堂 定例公演 悪太郎 蟻通

定例公演  悪太郎 蟻通
演目・主な出演者
狂言 悪太郎(あくたろう) 野村万蔵和泉流
能   蟻通(ありどおし) 観世喜之観世流

前回に次いで神様が出てくるお能。このお能に出てくる神様、蟻通明神には、[立廻リ]がある。先日の馬場あき子さんの解説では、神様の出てくるお能に舞事がある場合は、それほど高い位の神ではない、ということになるという話だった。そういえば、「山姥」にも[立廻リ]があるが、蟻通明神は、そういう自然の精霊のようなものと近いという位置づけなのだろうか。

このお能の一番の特徴は、中入りの無い一場物ということだろう。パンフレットの井上愛氏の解説によれば、「二場物を基本とする夢幻能の成立以前の様式を示しているという指摘もあります」とのこと。たしかに、このお能を観た感じでは、あえて一場物にしなければならない必然性はなかった。それに、シテも特に物着をしたりすることなく、詞やシテの佇まい、囃子やだけで宮守から蟻通明神に変容するところは、二場物に比べて素朴な演出という印象がある。

また、本曲は世阿弥作ではあるが、喜阿弥の節が多く取り入れられているという。聴いてみたところでは、ワキの謡いが比較的多くて、そこに取り入れられているのかもしれない。たとえば、冒頭の道行のところなど、語尾の音程を(仮に音を置いて表すと)「ソー#ファーソー」のように、音を延ばす途中で、いったん半音下げて、ニュアンスを添えるような謡い方をしていた。

ワキといえば、この曲のワキには、井上氏によれば、重い習が多いとのこと。紀貫之という三十六歌仙の一人であり、『古今和歌集』の撰者の一人で仮名序も書いた歌人の第一人者であるからだろう。実際、ワキ(福王和幸師)が舞台正面で、謡ったり所作をすることが他の曲に比較すると多い。特に所作が興味深かった。膝立になって片足を体の外に延ばし、腕も同方向に差し出すような所作、体は脇正方向に傾けながら、左手を高くかかげる所作等、風折烏帽子、狩衣、大口という出立の人が、颯爽と姿良く見えるよう工夫された所作が多い。『平家物語』で、源頼政が鵺退治後、「ほとゝぎす名をも雲井にあぐるかな 弓はり月のいるにまかせて」と詠った時の、「右の膝をつき、左の袖をひろげ、月をすこしそばめにかけつつ」という姿を思い出させるものがあった。


能   蟻通(ありどおし) 観世喜之観世流

紀貫之が和歌の神様である玉津島神社のある、住吉玉津島への旅をしている。ところが、日が暮れて大雨も降る折も折、乗っていた馬が動かなくなってしまう。近くには灯りも無く、貫之は困り切ってしまう。

そこに、[アシライ出シ]で、大鼓と小鼓で囃子が静かに拍子を刻むと、笛の渋い音色のゆっくりとした旋律と共に、シテ(観世喜之師)が、白い傘を左手に持ち、右手に松明を振りかざすようにしながら、橋掛リに現れる。この傘と松明は、「降りしきる雨」と「暗闇」がこのお能の情景なのだということを、詞章だけでなく見た目でも表しているのだろう。またこのシテの出が重々しく渋味の効いた演出なのに、後の地謡は全般的にさらさらとしていて、興味深く思った。シテの出の部分とそれ以外の部分では急緩を付けたということなのだろうか。それとも、そのまま重々しく行くほど重い曲ではないということなのだろうか。

シテは、舞小尉の面に、翁烏帽子、黄朽葉色の縷狩衣、白の大口という出立。シテは、鐘の声も聞こえなければ、燈火もなく、宮守すらいない、と、ゆっくりとした口調で不平を述べる。パンフレットの井上愛氏の解説には、「シテは蟻通明神の化身とも、蟻通明神が宮守に憑いた姿とも読み取れます」とある。私は公演を観る前は、ここで社頭に宮守がいないことに不平をもらすことから、蟻通明神の化身と考えるのが妥当なのではないかと思った。が、何かの神様が化身となって現れ、さらに正体を表すときは、多くの場合、後場で正体を表すと共に装束も変わっているのに、このお能では、一場物で物着もないため、最後まで宮守の装束のままだ。その点を考えると確かに、宮守に憑依した形とも考えられないこともないようだ。しかし、詞章の最後に「鳥居の笠木に立ち隠れ、あれはそれかと、見しままにて、かき消すように失せにけり」とあるのが気になる。普通の人には、鳥居に笠木に立ち隠れたりするのは相当難易度が高いと思うので(私には絶対にできん)、化身だったという解釈の方により妥当性があるような気がするが、どうだろうか。

そして、宮守は、貫之に対して、明神の前を通ったことを知りながら、馬上から下りなかったとすれば、お生命は無いでしょう、と言う。貫之がよくよく見てみると、松明の光に照らされた鳥居が確かに見える。

宮守は、その人が紀貫之と知ると、歌を詠んでお手向け下さいと言う。紀貫之は、

雨雲の立ち重なれる夜半なれば、ありとほしとも思ふべきかな

という歌を詠う。『貫之集』にある本歌は、「かき曇りあやめも知らぬ大空にありとほしをば思ふべしやは」という歌だという。『貫之集』の歌よりも「蟻通」の詞章の中の歌の方がずっと、雨雲の重苦しさ、暗闇が強調されているように思われる。このお能の舞台となっている土砂降りの雨と暗闇という情景を反映させたものなのだろう。それに、『貫之集』の方の歌が、平安王朝の雅やかな言葉選びであるのに対して、お能の詞章にとられた「雨雲の立ち重なれる夜半なれば」という上句は、降りしきる雨に闇という情景に美を見出す中世特有の美意識を反映しているようにも思われる。

宮守は、『古今和歌集』の仮名序や真名序にある言葉で和歌を讃える。すると、貫之の月毛の馬は不思議なことに元の通りに歩くことができるようになった。

さらに貫之は、宮守に祝詞を読んで神慮をしずめるよう請う。すると、宮守は御幣を取り出し、祝詞をあげ、[立廻リ]となる。

その後、宮守は鳥居の笠木に立ち隠れると、「かき消すように失せにけり」で、足早に橋掛リを去っていく。跡に残った貫之が感じ入っていると、夜も明けてくる。貫之は、また住吉玉津島への旅を続けるのだった。