阿古屋松と柳の巨木伝承

今年4月、国立能楽堂で、世阿弥自筆本による「阿古屋松」の復曲公演があったが、その月のパンフレットの特集に松岡心平先生が「阿古屋松の巨木伝承」というタイトルで、エッセイを書かれていた。

古代の巨木伝承は西日本を中心にあるようで、松岡先生は、そのエッセイの中で、『古事記』下巻の「仁徳天皇」の項の「菟寸河(とのすがわ、大坂府高石市か)」の西の高樹や、『日本書紀』巻七「景行天皇」の項の、福岡県三池郡の歴木(くぬぎ)の倒木、『筑後国風土記逸文)』の樗(おうち)、『肥前国風土記』の「佐嘉郡(さかのこおり、佐賀市)」の楠木(くすのき)、もっと時代は下るが、『今昔物語』の本朝部巻三十一、第三十七の「近江の国の栗太の郡の大柞(おおははそ)の語」等を挙げている。

これらの巨木伝承には、いくつかの典型的なパターンがあり、例えば、日光を遮る影の長さが異様に長く、一国の境界線を越える程であるというのが、古代のほとんどの巨木伝承の要件になっているらしい。

そして、阿古屋松は、実は、これらの古代の巨木伝承と比べると相対的に新しい時代のものなのだという。『古事記』や『記紀』の時代には、東北の松の巨木伝承は無く、『伊勢物語』十四段に至って初めて東北の松(姉歯の松)が出てくるのだという。また、阿古屋松は、日光によって作られる巨木の影が国をまたいで掛かるというエピソードを持たない、新しい語り口を持つ伝説なのだそうだ。

ここで思い出すのは、阿古屋松に関する伝説だ。お能の「阿古屋松」の間狂言(復曲公演でアイを務めた山本東次郎氏の作らしい)にもあったが、阿古屋という姫と夫婦になるために、最上平清水の老松の精が左衛門という若者になった。彼は自分の正体を阿古屋姫に明かすと、命運が尽きたとかき消すように失せてしまう。一方、名取川が氾濫し、新しく橋を掛けるために、その老松が切り倒される。しかし、名取川に運ぼうとしてもびくともしない。そこに阿古屋姫が赴き、松の大木に姫が小声でささやくと、めでたく大木は動かすこおが出来るようになったという話だ。

この話の後半部分が、「卅三間堂棟由来」の平太郎住家より木遣音頭の段の流れに似ているのは、この話を知っている人ならば誰でも思うことだろう。こういった民間伝承は、似たようなパターンを踏襲することがあることを考えれば、当然、阿古屋松の伝説に類似する、即ち、「卅三間堂棟由来」通りの「柳の巨木伝承」があってもおかしくはない気がする。そこで、簡単に国際日本文化研究センターの「怪異・妖怪伝承データベース」(柳の精が妖怪かどうかは別として…)で確認してみると、以下のような話がある。

  • 人に化けて人と交わった柳の精」の話
    • 娘のところに通っていた男が実は柳の精で明日、善光寺の本堂を建てるのに、切り倒されることを娘に告げる。切り倒された柳は何千人が引いてもびくともしない。娘が男の願い通り今様を謡うと、難なく動き、善光寺に至った。
  • 古柳の精
    • 上記に類似の話で、善光寺の棟木となった話。
  • おりゅう柳,女のお化け,幽霊
    • 熊野川町にあったおりゅう柳という大木を伐って三十三間堂の棟木とした。川を流そうとしたが流れず、女の霊が出てきて、その女が引いていった。
    • お柳という柳の精が女となり、人間の男との間に子をなした。三十三間堂の柱にするために、柳は刈られた。 

これらをみるだけでも、「三十三間堂棟由来」のお柳と平太郎、みどり丸の話は全くの創作というよりは、このような民間伝承を種として出来た話なのかもしれないと考えた方が自然である気がしてくる。そして、これらの伝承のほとんどは口承伝説のはずで、浄瑠璃作者達はどうやって取材したのだろうと、興味は尽きない。

さらに、阿古屋松の伝承が、古代伝承と新しい時代の橋渡し的位置にある伝承であるこことを考えると、上記の善光寺の棟木や三十三間堂の棟木になる柳の話が、いつ頃出来上がったのか、また、阿古屋松の萬松寺、善光寺三十三間堂天台宗か、さもなくば、ある時期、天台宗であったこととこれらの伝承には何らかの関係があるのか否か、などなど、色々考え出すと止まらない。

…というわけで、週末にNHK FMで清治師匠と呂勢さんの「卅三間堂棟由来」の平太郎住家より木遣音頭の段を聴いて(素敵でした)、とりあえず、忘備録として書き留めておきたいと思っていながら忘れていた話を思い出したので、書いておきました。そういえば、住師匠が軽い脳梗塞で入院されたとか。昨今の文楽を巡る騒動でストレスをためられていたのでしょうか。一日も早いご快癒をお祈りしています。