国立能楽堂 第十八回 能楽座自主公演

第十八回 能楽座自主公演  茂山忠三郎 追善
開催: 2012年8月19日(日) 午後2時〜
曲目・演目: 能「四位少将」梅若玄祥、大槻文藏
        狂言「二千石」野村萬野村万作
        舞囃子「賀茂」観世銕之丞
        舞囃子「当麻」近藤乾之助
        狂言「二千石」野村萬野村万作
        独吟 道成寺 宝生閑
        語 那須ノ語 茂山千五郎
        小舞 裕善 茂山良暢
        能 四位少将(通小町) 大槻文蔵
出演: 梅若玄祥、大槻文蔵、観世銕之丞、近藤乾之助、宝生閑、野村萬野村万作、曾和博朗、安福建雄、福王茂十郎、藤田六郎兵衛、大倉源次郎、山本孝、三島元太郎、観世元伯 他


あまりお能の公演の無い時期だし、出演者もトップクラスの人々ばかりだからか、ほぼ満席の大盛況でした。


舞囃子「賀茂」観世銕之丞

「我はこれ往生を守る君臣の道 別雷の雷」から最後まで。
たまたま前日にすっごい雷雨があり、なるほど、確かに雷ってそんな感じでした!という舞でした。


舞囃子「当麻」近藤乾之助

「為一切世間 説此難信 之法是為甚難 げにも此法はなはだしければ 信ずる琴もかたかるべしとや」から最後まで。

病気で休演されてから初めて拝見しました。100%以前の如く、というわけではなかったけれども、すっと立ち上がり、水平にした閉じた扇をさっと前に出す所作を観るだけで、感動してしまう。こんな美しく佇んで扇を扱えるのなら、そのこと一事だけでも、乾之助師は能楽師として素晴らしい人生を歩んでいると言えるのではないだろうか、などと思ってしまった。


狂言「二千石」野村萬野村万作

夢の共演。やはり、シテもアイも上手いと面白い。これで万之介師もいたら、もっと楽しかったのに。


独吟 道成寺 宝生閑

シテの中入り以降のワキの独吟「昔此の國の傍らに まなごの庄司と云う者のありしが」から「なんぼう 恐ろしき物語にて候」まで

ちょうど、シテの白拍子が鐘入りした後にワキの住僧が語る、「道成寺」の典拠のお話。閑師の語りで語られると、まるで怪談を聞くようで、怖いことこの上なし。しかし、「道成寺」が久々に観たくなってしまった。


語 那須ノ語 茂山千五郎

那須語は、そもそも「八島」の常の間狂言ではなく、替間だということを、初めて知った。

以前、和泉流野村万作師の間狂言那須与市語を聞いたが、それとは全然別物といっていいくらいでびっくりした。
万作師の語は、非常に抑制の効いた、しかしスピード感のある語りだったが、千五郎師のそれは、まるで一人芝居で、華やかなものだった。もし、ワキの僧が聴いていたら、聴き終わった後の第一声は、「あなた狂言師になったら?」ではないかと思うくらい。

詞章も、たとえば、扇を掲げる傾城について「十七八なる傾城 柳の五つ襲(かさね)に 紅(くれない)の血潮の袴踏み含み」などと、和泉流よりも鮮やかな描写になっている。

本当に家によって色々違う。同じ大蔵流の山本家の那須語りはどうなっているのだろうか。とても興味深い。


小舞 裕善 茂山良暢

お父様の追善とはいえ、これだけの方の間に挟まって、小舞とは大変そう。茂山家の小舞はあまり観たことなかったけど、小舞は意外に他の家の雰囲気と変わらない気がする。


能 四位少将(通小町) 大槻文蔵

「通小町」という曲は、かつて「四位少将」という名前だったという。確かに小町物の中でこれだけはシテが小町ではない。四位少将というのは、深草少将のことだが、「四位」は、「椎」に通じる。古典の世界では、椎は田舎に多くある木とされているため、四位少将が深草少将という名前なのも、実在の人物というよりは、人々の空想から生まれた人という印象を与える。

実際、有名な深草少将の小野小町の元への百夜通いも、全く別の説話を二人を主人公にした説話に変えて伝わったもののようだ。新潮の古典文学集成の『謡曲集(上)』の解説には、その説話の原典と覚しき、『古今集』恋歌・五(761)、読み人知らずの、

あかつきの鴫(しぎ)の羽掻き百羽掻き君が来る夜は我ぞ数かく

という歌が紹介されている。これについて、「鴫(しじ)の羽掻(はねか)き」か「榻(しぢ)の端書(はしが)き」なのかが解釈上の問題となっているたのだそう(『奥義抄』など)。そのうちの「榻の端書き」説は、毎晩、男が女の元に通って、百夜になれば逢おうという約束をし、牛車での乗り降りの際に踏み台にする榻に通った回数だけ印を付けていくが、その百夜目というときに俄に男の親が亡くなった。そのときに、女が男に書き送った歌がこれだということになっている。


この「榻の端書(はしが)き」の歌に基づく説話のモデルは特に、小野小町深草少将というわけではなく、小野小町深草少将の組み合わせによる類話は、文献上は、「通小町」より遡ることが出来ない、と書いてある。おそらく、男の人が女の人の元に百夜通ってはじめて逢うことができるという説話に人々の心に強い印象を与え、さらに、相手の女の人の方が美人で有名だった小町だという空想が自然と浮かんだのだろう。「榻の端書き」説に基づく説話が複数の歌学の書に見られるというのは、それだけこの百夜通いの説話が当時の人々に訴えかける力をもっていたということで、深草少将の百夜通いを見せる舞があったり、「通小町」の原型となる舞が生まれたのは、なるべくしてなったということなのかもしれない。

今回の「四位少将」が通常の観世流の詞章と大きく違うところは、前場のツレ、小町が語る詞に仏陀のエピソードが入るところのようだ。そのワキの僧は、八瀬の山里に夏安居をしている。僧に木の実を毎日持ってくる女人がいて、僧がその女人に「いつも来り給ふ人か。今日は木の実の数々御物語候へ」というと、女人は、木の実について答える前に、まず、その仏陀の話から語り始める。

忝(かたじけな)き御譬(たと)へなれども、いかなれば悉達太子(しっだたいし)は浄飯王(じょうはんおう)の都を出て。檀獨山(だんどくせん)の嶮(さが)しき道を凌ぎ。菜摘み水汲み薪とりどり。さまざまに御身をやつひ。仙人に仕へ給ひしぞかし。いわんやこれは賤の女(しずのめ)の。摘みならひたる根芹若菜(ねぜりわかな)。わが名をだにも知らぬほど。賤(いや)しく軽(かろ)きこの身なれば。重しとは持たぬ薪なり

という小町のサシが入って、その後のロンギ前の小町の「拾ふ木の実は何々ぞ。」というところにもどる。

これは、下掛リにはあるが、観世流などの上掛リには無くなってしまったサシで、世阿弥の作曲と考えられるという。

新潮の日本古典集成の『謡曲集(上)』にある解説には、興味深いことが書かれていて、この部分は、『平家物語』の「大原御幸」の、花摘みの女院を下書きにした構想ではないかと考えられる、とある。

たとば、覚一系の『平家物語』の「大原御幸」では、建礼門院が蟄居する寂光院後白河法皇が訪れ、女院がどこにいるのか留守番役の尼(阿波の内侍)に尋ねると、「花摘みに行かれました」という。法皇が、「女院自ら花摘みなどとは、そのようなことをしておあげになる人もいないのか」というと、尼は、「女院様は前世の果報が尽きてしまわれたので、今、このような目に遭われておられるのでせう。捨身の行をするのに、どうして身を惜しまれることがありましょうか」と応えた上で、次のような仏陀の逸話を引く。

悉達太子は十九にて伽耶城(かやじょう)を出て、壇特山(だんとくせん)のふもとにて、木の葉をつらねてはだへをかくし、嶺にのぼりて薪をとり、谷にくだりて水をむすび、難行苦行の功によッて、遂に成等正覚し給ひき。

確かに、この部分は、上記の小町のサシと内容が類似している。悉達太子を思って摘んだ花を花筐(はながたみ)に入れて庵に歩いて来る女院は、この「通小町」の、悉達太子を思い、木の実を籠に入れて僧の元に来る小町と通じる部分があると言える。

佐伯真一氏の『建礼門院という悲劇』という本によれば、ほかにも建礼門院と小町には相通じるところがあるという。

たとえば、たとえば一方の建礼門院は国母として、もう一方の小野小町は宮廷における和歌の達人として、共に栄華を尽くした後に、零落してしまった点だ。元々、小町は「后がね(お后候補)」で、周囲の人々にかしづかれていたが、身内の肉親が次々と亡くなって、「后がね」という話は無くなってしまい、零落してしまったという。

また、そもそも、「大原御幸」の花筐を持って落魄した建礼門院の姿は、小町の栄枯盛衰を描いたと信じられている『玉造小町子壮衰書』の影響を受けているという。『壮衰書』には、年老いて落ちぶれた小町は、左の肘には破れた筐を掛け、右の手には笠を提げ、筐の中には野の青い蕨、笠には田の黒いクワイを持っている。この姿が「大原御幸」の建礼門院を連想させるという。確かに、『平家物語』が書かれた当時、若い時に栄華を極めてた後、零落した女性のイメージとして筆頭にあがるのは、小野小町だったろうし、女院が大原のような都から離れたところにある寂光院で、かつての華やかな暮らしを留めぬ落ちぶれた暮らしをしているという話が人々の間に伝われば、女院に自ずと『壮衰書』のイメージを重ねるのは、当然だろう。

そうだとすると、世阿弥が「通小町」の中で「大原御幸」の建礼門院のイメージを小町に重ねようとしたことは、ある程度確実な気がするが、それでも、世阿弥が、何故、「大原御幸」の建礼門院を小町に響かせることに意味を見いだしたのか、その理由は、テキストを読んでも判然としない。

想像するに、建礼門院寂光院でしたことは、自分のこれまでの人生を懺悔し、安徳帝と平家の係累の人々の菩提を弔うことだ。そのようなイメージを「通小町」の小町に響かせるということは、夏安居する僧に木の実を毎日届けに現れる小町を「大原御幸」の建礼門院に重ねることで、小町が深草少将に対して行った行為を悔いており、成仏をも望んでいるということを、世阿弥は示したかったのではないだろうか。

ただ、その推論が正しかろうとなかろうと、この小町のクセの部分が復活しても、この曲のその後の展開とうまくリンクしない。もし、このあとの流れが、深草少将が妄執を語り、百夜通いの様をみせ、百夜目が成就し、かねてから懺悔の日々を送ってきた小町と、百夜目が成就した深草少将がお互いに許し合うことで、成仏するという内容なら、この世阿弥作曲のサシも生きる。しかし、実際には、曲の最後に「飲酒はいかに」と問われた深草少将が飲酒の戒を守ったという「ただその一念の悟りにて、多くの罪を滅して、小野の小町も少将も、ともに成仏成りけり」で、唐突に終わるのだ。「飲酒の戒律を守った」という功徳一事のみで成仏すること自体は、他の曲からみても著しく不合理ということは無いかもしれないが、特に深草少将の盲目的な執心が解放される部分がもっときちんと描かれていないと、観ている方は納得しにくい。

と考えると、『謡曲集(上)』の解説にもあるとおり、今は上掛リでは省略されている小町のサシを世阿弥が埋め込んだ時、この曲の結末も今とは違ったものだったのではないか、という気がする。そして、その後、小町のサシの意義が忘れられてしまって、そのサシの部分と共に、あるいは前後して、おそらく古作であるが故に冗長で齟齬の多い結末も整理されてしまい、今の形になっているのではないか、などと想像してしまう。


名ノリ笛で、八瀬の山里で夏安居をする僧(福王茂十郎師)が橋掛リから現れ、毎日、木の実爪木を持ってくる女性が一人いるので、今日はどこの人なのか、訪ねてみたいと独りごつ。

[次第]の囃子となると、ツレの女人(大槻文蔵師)が現れる。増のような面で、萌葱の水衣に黄色の着付姿で、片手には筐を持っており、次第の「拾う爪木もたきものの 拾う爪木もたきものの 匂は袖ぞ悲しき」を謡う。爪木(たきぎ、折れ枝)というのは、大原御幸の中にも出てくる表現だし、女院も花筐と岩つつじを取り添えて持って現れる。ここもやはり、「大原御幸」を踏まえた表現なのだろう。

市原野のあたりに住む女人は、早速、夏安居の僧に声を掛け、今日もきたことを伝える。

すると、僧は、「いつも来り給ふ人か。今日は木の実の数々御物語候へ」と、声をかける。

小町はすぐにその問いには答えず、先に触れた悉達太子のエピソードを語り、いわんや私のような賤の女(しずのめ)ならば、薪でさえ重たくはありません、と答える。そして、「拾う木の実は何々ぞ」というと、持ってきた木の実を説明しはじめる。

この「何々ぞ」という詞を連想させるやりとりが、『玉造小町子壮衰書』にもある。老いさらばえた小町は乞食のような姿で、首や背中にぶら下げた袋や手に持つ笠や筐に何物かを入れている。それに対して「〜には何物をか容れたる(〜容何物)」という問いがあり、それに小町がひとつひとつ答えていくといった具合に対話形式で進んでいく。ここでは、四位(=椎)の少将に掛けたのだろうか、木の実尽くしを語っていく美しい詞章の続く場面だ。

一通り持ち込んだ木の実について教えてもらうと、僧は、すでに心に決めていた問い、「御身はいかなる人ぞ」という質問を、女人に投げかける。

女人は、「小野とは言はじ、薄(すすき)生ひたる市原野辺に住む姥ぞ」とだけ答えると、「跡弔い給へお僧」といって、かき消すように失せてしまう。そして、通常は常座でくつろいで物着となるらしいが、今回は、中入りとなった。


この後、間狂言は入らないが、代わりにワキの僧の独白が入るのが、面白い。翌週に観た「鵜飼」でもやはり、中入後の間狂言がなく、ワキの独白だった。世阿弥よりずっと昔の能では、前場後場では別人がシテを演じ、装束替えが無い分、前場後場の間はワキが簡単つなげば良いというパターンの演出が結構あったのかもしれない。


僧は、ある人が市原野を通ったとき、薄が一群生えるところの影から「秋風の風の吹くにつけてもあなめあなめ をのとは言はじ薄生ひけり(秋風が吹くにつれて、ああ目が痛い、こんな姿となった私が実は小野とは名乗れません。薄が生えているだけです)」という歌を聞いたことを思いだし、これが小野の小町の歌であったと気づく。

女人の正体を悟った僧は、自分に「跡弔い給へ」と言い掛けた小町を弔いに市原野に向かうことにする。


僧が市原野辺に赴き、座具を広げて香を焚くき、「南無幽霊成等正覚、出離生死頓証菩提」と念仏を唱える。

すると、念仏に引かれて、[一声]で、小町の霊が現れる。後場の小町は小面の面に変わっており、装束も前場の紅無しから紅入りの唐織に金の七宝繋ぎに似た幾何学文様の装束に変わっていた。

小町が「うれしのお僧の弔いやな。同じくは戒授けさせ給へお僧」と言い、僧の方に向かおうとする。すると、その背後の揚幕の中から、「いや叶ふまじ戒授け給はば、恨み申すべし。はや帰り給へお僧」という不吉な詞を掛ける謎の人物がいる。…という演出なのだと思うが、揚幕の内からの発声なので、たまたま舞台から遠かった私の席では何と謡っているのか全く聞き取れず。常の演出では被衣(かつぎ)を被って現れるようだ。以前、喜多流友枝昭世師で観たときは、傘を持った「雨夜之伝」の小書だったのは覚えているけど、ここはどうやっていたのだろう?で、この「四位少将」は、大阪が初演だそうで、となれば大槻能楽堂だろうから、そこでは、揚幕の内から謡っても大丈夫だったのだろう。大槻能楽堂国立能楽堂よりは橋掛リも短いし、見所の座席数も多分少ないし、殊に音が、クラッシックの会場としても使えるのではないかと思うくらい、素晴らしく通る。

とにかく、ツレである小町が、おびえたように「なぜ、せっかく法要の機会を得たのに、なおその苦患(くげん)を見せようとするのでしょうか」と叫ぶと、揚幕の内にいるシテは、「あなた独りが成仏しても、私の思いが重すぎるので、小町も三瀬川(三途の川)を沈み果ててしまうでしょう。さあ、お戻りください。お僧たち」と、主張する。

それにつづけて、[ロンギ]で地謡が僧の詞、「それでも、たとえその身が迷っていても、戒を授けられれば、その法の力で成仏しないことがありましょうか、ただ二人で共に戒をお受けなさいませ」を謡う。

小町はそのまま、薄を押し分けて戒を受けようと常座から僧の方に歩いて行くが、シテは、「包めどわれも穂に出でて、包めどわれも穂に出でて、尾花(おばな)招かば留(と)まれかし」という詞と共に、揚幕が上がり、シテの深草少将(梅若玄祥師)の姿が現れる。シテは、黒頭に笠を被り、痩男系(?)の面、灰色の水衣に浅葱の大口という出立。橋掛リに出てくる。

小町が、
「思ひは山の鹿(かせき)にて、招くとさらに留まるまじ(一度、受戒の決心がついた上は、いくら招いて留めようとしても、この思いを止めることはできません)」
と謡うと、深草少将は、
「さらば煩悩の犬となつて、打たるると離れじ」
と、応酬する。

恐ろしくなった小町は、常座からワキ座の僧の方へ逃げようとするが、深草少将は小町の袖をとって引き留める。この場面は、本当に恐ろしい。しかも、深草少将も「わが袂も、ともに涙の露」なのだ。

二人の様子を見ていた僧は、「さては小野の小町四位の少将にてましますかや。懺悔に罪を滅ぼし給へ」と、二人に語り掛ける。

通常は、この詞の後に続けて僧が、
「とてもの事に車の榻に百夜通ひしところをまなうでおん見せ候へ」
と声をかける場面があるのだが、今回は、省かれていた様子。ここのところは、世阿弥よりずっと以前は、百夜通いが眼目であったろうから、やってみせよ、という言葉はそれなりに意味があったのだろうが、今となっては唐突に聞こえる。そのために、この『四位少将』では、削除されたのだろうか?

そして、二人は百夜通いを再現する。馬も使わず徒歩跣足(かちはだし)で、笠に蓑を付けて、竹の杖を持って通う、月の照る夜、雪の夜、雨の夜と再現していくなかで、深草少将は、その辛苦を思いだし、
「たまたま曇らぬ時だにも、身ひとりに降る涙の雨か。」
と謡うと、[立回リ]となる。

[立回リ]では、橋掛リを揚幕方向に向かって走るのだが、途中、ニノ松付近の柱に笠ごと頭から激突!座り込んで落ちた笠を拾うという場面があった。演出でやってることは分かったのだけど、文楽では、このように自ら柱に突進して頭から激突するというのは、チャリ場の基本的お作法。さて、お能では何を表すのか。玄祥師は私にどう解釈せよというのだ?…と、頭が3秒ほどぐるぐるしたが、家に帰って本を確認すれば、盲目な恋に迷う様子を表しているとか。所変われば品変わる、です。とゆーか、多分、ここがこの曲の山場だというのに、チャリ場のようにしか思えなかった。反省。


百夜通いを再現していく中で、「わがためならば、鶏もよし鳴け、鐘もただ鳴れ、夜も明けよ、ただ独り寝ならば、つらからじ」というところまで心を尽くしたことを思い出す。そして、百夜目のこと、それまでの九十九夜とは代わり、気高く紅の狩衣を着て小町のところに現れる。そこで、「(祝いの)飲酒はいかに」と問われ、「月の盃なりとても、戒めならば持たん」と答えると、このたった一念の悟りによって、ふたりとも成仏するのだった。


…というわけで、演能はすばらしかったのですが(特に、両師がシテとツレを演じることで両シテのようで迫力があり、大変面白かったです)、最後は、やはりよく分からなかった。「百夜通いが成就しても、調子に乗って酔っ払ってはいけません。『家に着くまでが遠足』です」…って話じゃあないですよね(?)。