『平家物語』延慶本と二段目の知盛の語り

小野小町建礼門院の関係について考えたくて、佐伯真一先生の『建礼門院という悲劇』(角川選書)という本を再読した。その中に、読み本系の『平家物語』延慶本の「大原御幸」について検討している箇所がある。延慶本は、『平家物語』の古態を最もとどめていると考えられている本だ。

延慶本の「大原御幸」では、後白河法皇が大原の寂光院建礼門院を訪ねて行く。

国母であった建礼門院は、六道之沙汰の苦しみを語った後、憑かれたように、
「国を治めてすらいない幼い安徳帝が何の罪によってこのような悲運に見舞われるのでしょう」
という問いを発する。そして、すぐさま、自らその問いに対して、

是即我等ガ一門、只官位俸禄身ニ余リ、国家ヲ煩スノミニアラズ、天子ヲ蔑如(ないがしろに)シ奉リ、神明仏陀(しんめいぶつだ)ヲ滅シ、悪業所感ノ故也。

と答える。

この女院の語りは、延慶本にしかない語りだ。いわば、運命のいたずらで、平家という難破する船の一員となったが、政治の場からは一線を引いいたところにいた女院だからこそ、このような考えに至ることが出来たとも言えるし、一方で国母でありながら、天皇を見殺しにしてしまったという恐ろしい程の罪悪感に苛まれ続けた末の言葉であることを考えれば、どんな言葉も彼女の心を慰めることは出来ない。


そして、ここを読んで、文楽の『義経千本桜』の二段目の知盛の語りを思い出した。知盛は義経に捉えられ、まるで「大原御幸」の建礼門院のように六道ノ沙汰について語った後、

安徳帝は)今賎しき御身となり、人間の憂艱難目前に、六道の苦しみを受け給ふ。これといふも父清盛、外戚の望みあるによつて、姫宮を御男宮と言ひふらし、権威を以て御位につけ、天道を欺き天照太神に偽り申せしその悪逆、積り/\て一門わが子の身に報ふたか、是非もなや。

と語る場面だ。

これまで、この場面には感動しつつも、この知盛の詞は一種の歴史に対する批判になる訳で、「こんな風に清盛の悪逆が安徳帝と一門に祟ったと言い切っていいのだろうか」と、漫然と思っていた。

しかし、こうやって見てみると、知盛の語りは、延慶本の建礼門院の語りそのものを引いているわけではないが、その語り骨格を継承し、語りの範囲を超えないところにきちんと収められている。しかも、延慶本というのは、通常は、あまり芸能の典拠にはなるような本ではないと思う。しかし、並木千柳等は、『義経千本桜』の中で二段目で知盛に平家の幕引きをさせるために、覚一本や源平盛衰記のようなよく典拠とされる異本だけでなく、敢えて、延慶本まで取材して内容を吟味し、最終的にこのような話に仕立てたのだと思う。

改めて、『義経千本桜』の二段目は、緻密な計算の元に成り立っていながら、それを感じさせずに、感動させずにはおかない、屈指の名作だと思う。