国立能楽堂 大社 神子神楽

平成24年度(第67回)文化庁芸術祭協賛<月間特集・古事記千三百年にちなんで>
解説・能楽あんない 能「大社」と古事記神話 斎藤英喜(佛教大学教授)
能   大社(おおやしろ) 観世銕之丞観世流
狂言   神子神楽(みこかぐら) 山本東次郎大蔵流
http://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2012/1138.html

「大社」は、観る前に詞章を読んだ時は、「賀茂」のような感じかなと思ったが、ゴージャス感200%増しという感じでした。シテの大己貴命、後ツレの天女、龍神がそれぞれに性格付けが際だっていておもしろかったし、地謡も迫力ある謡だった。


解説・能楽あんない 能「大社」と古事記神話 斎藤英喜(佛教大学教授)

古事記』の成立が712年、今年は成立から1300年の記念なのだとか。1300年前の成立時期が伝わっているというところがすごい。

斉藤先生が最初に言及されたのは、中世には、古事記注釈書が中世における『古事記』の理解に大きな影響を与えているというお話。『古今和歌集』や『伊勢物語』、『源氏物語』等については、中世にいくつも注釈書が出て、それらがお能の典拠になったりしているのは知っていたが、『古事記』などの理解も、中世に独自に発展したのだ。

パンフレットの特集にある田中貴子先生のエッセイにも、同様のことが書いてあり、さらに興味深いのは、『古今和歌集』の注釈書や歌学書にも記紀の注釈書を指して「日本記に云く」などとする表現があったりするらしい。ちなみに、ときどきお能の典拠として『古今和歌序聞書三流抄』(三流抄)が引かれることがあるが、田中先生のエッセイには、世阿弥がよく参看したとある。確かに、考えてみれば、『三流抄』が典拠のお能は、私が出会ったものは、世阿弥の作品ばかりかもしれない。

とにかく、そういうわけで、「大社」に出てくる出雲大社の祭神は大己貴命(おおあなむちのみこと=大国主命)ということになっているけれども、中世の頃は祭神は素戔鳴尊だったのだのだそう。したがって、このお能のシテも、素戔鳴尊だと考えた方がよいようだ。なぜ出雲大社の祭神を大己貴命としたのは、寛政10年(1798)に『古事記伝』を表した本居宣長の影響なのだとか。本居宣長のどういう説を論拠として祭神が変わることになったのかは、このあたりの話の時は気を失ってたので、思い出せず。ただ、オオクニヌシが様々な試練を乗り越えてスサノヲに地上世界を支配するように云われ、オオクニヌシという名前をもらったが、アマテラスが国の支配を握ることになったため、交換条件で、都の内裏と同等に立派な社殿を作るよう要求したのが、出雲大社の始まりとか(先生によれば御霊信仰の原型とも)。そのあたりの事情を考慮して大国主命が祭神であるはず、と推定したということなのかも。そして、今、トーハクで開催されている出雲大社の特別展では、近年発掘されたその伝説を裏付けるような大きな支柱が展示されているとか。是非とも行かなくては。

ちなみに、大国主命が大黒天と習合した大黒様は、ふつう大きな袋を持っているが、あれは大国主命が海彦山彦の兄達と旅をしていた際に持ち歩いている荷物なのだとか。…という話だったと思う。習合し放題の神様の話を聞いていると、その場では納得しても、いつも後で頭の中でごちゃごちゃになる。


また、興味深いのは、この「大社」というお能には、後ツレで龍神が出てくるのだが、祭神が同じく大己貴命である大神神社には、苧環伝説がある。そして、夜な夜な通ってくる謎の男は実は龍神なのだ。「大社」になぜ龍神が出てくるかというと、出雲に神々が結集する時は龍神が先導するからと考えられ、双方の神社に龍神が関係あるのはそれぞれ別の事情と考えるのが正しいのかもしれない。けれども、ちょっと飛躍して大己貴命龍神って何か関係あるのだろうか、などと考えてみたくなる。

他に、後ツレとして「出雲の御崎に跡を垂れ」という詞と共に天女が出てくるのは、出雲の御崎にある日御碕神社の祭神がスサノヲとアマテラスだからとのこと。なお、仏教的には、この天女は十羅刹女で、『法華経』では仏教守護の善神らしい。

それから、同じく後ツレで龍神が出てくるのは、これは出雲大社の神迎え祭では龍蛇神が神々を先導することになっているからだとか。仏教では、こちらは、竜宮の王である海龍王なのだそうだ。

それにしてもいつも面白いと思うのは、中世の人々が、昔の歴史や伝説等をなんとか自分達で理解しようと、不思議な論理でどんどん話を繋げていくやり方だ。古代にも既に似たようなことが起こっているが(たとえば、『古事記』と『日本書紀』との記述内容の違い等)、古代と中世とは少し成り立ちが違う気がする。古代の場合は誰が言い出したか分からない集団の記憶ともいえるものが多いが、中世の場合は、貴族のサロンやら学の高い僧達の間での噂話や言い伝えが元となっているようだ。

お能が、典拠となる原典よりも、むしろ、中世の注釈書の理解に根ざしているというのも、そういった注釈書の理解のベースとなる貴族や学の高い僧達に庇護してもらわなければならない、という事情があったからなのかも。そして、そういうお能を本歌として、江戸時代の庶民文化が花咲くのだ。


能   大社(おおやしろ) 観世銕之丞観世流

国立能楽堂でも過去3度しか上演されていないそう。上演が長時間にわたるからだろうか。

後見によって一畳台が運ばれると、赤い屋根に茶の引き回しで覆った小宮が一畳台の上に載せられる。

神楽のような少し変わった笛のフレーズのあと、ヒシギが響き、[真ノ次第]の囃子と共に、ワキ(工藤和哉師)とワキツレが橋掛リに現れる。次第の「誓いあまたの神祭り、誓いあまたの神祭り、出雲の国を訪ねん」を謡う。

ワキは今上天皇に仕える臣下であると名乗り、出雲に諸神が影向するので参詣に来たと告げる。

道行の後、ヒシギに続いて、荘厳でゆったりとしたテンポの[真ノ一声]の囃子の中、直面の男(観世淳夫さん)が一ノ松まで静かに歩いていき、その後、前シテの老人(観世銕之丞師)が出てきて[真ノ一声]を謡う。老人は、小尉の面に黒の烏帽子、白の縷直衣に、箒を携えている。神社に仕える身分の低い宮人ということのよう。

ワキの臣下が、当社の神秘を詳しく語っていただけませんかと老人に願い出ると、老人は、舞台中央に座って、御縁起を語りだす。

老人によれば、出雲大社は三十八社を勧請した土地だという。山王権現、九州宗像明神、常陸鹿島明神、信濃諏訪明神伊予三島明神の誤認の王子がおはしますほか、住吉明神は影向し、残りの神々は十学一日の寅の時に、ことごとく影向するのだという。そして今宵、神遊びがあるというと、「神の告げぞ」と」言い残すと、[来序]の中、社壇の中に入ってしまって中入りとなる。


狂言「神子神楽」では、神主(山本東次郎師)と神子(山本泰太郎師)が出てくると、参詣人(山本則重師)の求めに応じて神子が、神楽を舞う。東次郎師の神主が笛前に座って鉦を叩き、神子が鈴を片手に持って、ゆっくりと鈴をふりつつ、舞を舞う。踏みしめるような足拍子もあり、反閇(へんばい)という言葉を思い出さる。何となく三番叟のよう。


後場は[出端]で始まり、後ツレの天女が出てくる。万媚の面に、天冠、紅地の舞衣に茶の大口という出立。出雲の御崎にある日御碕神社の祭神、アマテラスの本地仏十羅刹女だ。中ノ舞のような優雅な[天女ノ舞]を舞う。さらに[楽]の後、[早笛]で、後ツレの竜神が出てくる。黒髭という面に赤頭、竜神は何というかA4サイズのタワー型PCのミニ版ような形の金色の箱を持っていて、なんだんなんだと思ったら、竜神は、その箱を小宮の前に置く。そして箱を開けると、なんと、龍戴の頭に載っているような小龍が入っていた。龍神が小龍を献じるなんてオシャレでしょ、と少し自慢気な龍神くんは、スピード感あふれる舞の後、シテ柱の辺りで小宮の作り物の方を向き、拝礼する。

すると、小宮の引き回し幕が引き下ろされ、後シテの大己貴命が現れる。金色の冠型悪尉(かんむりがたあくじょう)の面に、金の鳥兜、金地の蜀江文様の狩衣に茶地に金七宝文様とさらにその中に細々と金で文様が散りばめられている。全体的に金色で、まるで金の置物が動いているみたい。さすが、出雲大社をテーマとしただけあって、思いつく限りのゴーカな衣装。

シテは[舞働]で、どっしりとした、迫力のある舞を舞うと、最期に留拍子を踏んで、舞おさめるのでした。