国立能楽堂 普及公演 薩摩守 竹生島

解説・能楽あんない  弁才天は女体にて 馬場あき子(歌人
狂言 薩摩守(さつまのかみ) 野村万禄(和泉流
能   竹生島(ちくぶしま)  田崎隆三(宝生流
http://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2012/1160.html

馬場さんが竹生島にちなんだ素敵な話をされた。

まず、竹生島の本尊のこと。竹生島の本尊は、阿弥陀如来だそうだ。仏教では、女性はそのままでは成仏できないことになっていて、変成男子といって一度、男の人になってから成仏するという、何なんだ的手続きが必要と信じられていたが、阿弥陀如来というのは、女人を女人のまま救うということになっていて、女の人からの信仰が厚かったのだそうだ。そして、その阿弥陀仏は、弁才天に変成して現れるのだという(つまり、弁才天竹生島本地仏)。で、弁才天の守護神が龍神で、このお能でも弁才天龍神が出てくるのだとか。

そういえば、琵琶湖には、龍が棲んでいると信じられていたが、以前、田中貴子先生が、同じく国立能楽堂の普及講演の「春日龍神」の解説で、大和国春日野の猿沢池には龍が棲んでいると信じられていたが、猿沢池は、地下で琵琶湖や江ノ島とつながっていると信じられていたとおっしゃっていた。そして、厳島江ノ島にも弁才天があり、三大弁才天と呼ばれているとか。そういえば、私は未見だけど「江島」という稀曲がある。これも龍神が現れるとか。


それから、竹生島にちなんだ詩歌についても触れられていた。

一つは、『平家物語』の「竹生島詣」。ここには敦盛の兄、経正が出てくる。経正は、数え年八歳から元服の十三才まで、仁和寺の門跡となった主覚法親王に童形(上流の子弟が学問修行のために大寺で師僧に仕えること)として仕えていた。そして、主覚法親王から「青山」と呼ばれる琵琶の名器を預けられていたような琵琶の名手だ。

ある時、経正は竹生島を詣でた。夜も更けた頃、居待月が出て湖面が冴え冴えと光をたたえ、社壇も面白く照らし出される。そこに常住の僧が出て来て、経正の琵琶の腕について「お噂はかねがね聞いております」と声をかけると、竹生島に伝わる琵琶を経正に渡した。経正は、その琵琶で、秘曲の「上玄(じょうげん)」、「石上(せきじょう)」という曲を弾いた。経正の琵琶の艶なる音色が宮に響き渡ると、竹生島の明神が感応にたえずして、守護神の白龍が顕現したという。

その時、経正は、次のような歌を詠んでいる。

ちはやぶる神にいのりのかなへばやしるくも色のあらはれにける

この歌の意味は、打倒源氏という神様への祈りが届いて、願いが叶うという霊験が現れたことよ、というものだ。しかし、皮肉にも、彼は数ヶ月としない内に、一族と共に都落ちしなければならなくなり、これほどの名器である「青山」を田舎の塵にするのは忍びないと、仁和寺守覚法親王の元に返しに行っている。

もう一つは、『古今著聞集』巻五 文学に、都良香が、竹生島詣したときの話。都良香(834年〜879年)が竹生島で作詩し、

三千世界眼前尽(三千世界は眼(まなこ)の前に尽きぬ)

と、眼前に見える世界を詠ったが、その下の句が思いつかなかった。ところが、その夜、弁財天の夢の中に出てきて、

十二因縁心中空(十二因縁は心の中に空し)

と、下の句を付けたという。十二因縁というのは、人間の現在、過去、未来の生死流転の十二の因果を表し、要するに、この下の句は、あらゆる煩悩という意味が消え去った清明な心境を語ったのだという。

これも、素敵な歌だ。馬場さんも、上の句で眼前の現世のことを詠って、下の句で精神性の高い歌を付けていて、歌がぐっと深くなっている点を指摘されていた。

また、この「竹生島」の曲の中に出てくる、

シテ 緑樹影沈んで。
地謡 魚木に上る景色あり、月海上(かいじょう)に浮かんで兎も波を走るか
面白の浦の景色や。

という美しい歌についても説明されていた。この歌は作者不明ながら、鎌倉の建長寺の僧が作ったと考えられているという。

馬場さんによれば、「緑樹影沈んで」というのは、琵琶湖の水面に岸辺の木立が映り影を作っている様子を表し、「魚木に上る景色あり」というのは、魚が水面に映った影の間を泳ぎ回り、さながら木々の間を泳ぎ回っているように見えるということ。それから、「月海上に浮かんで兎も波を走るか」というのは、夜、月に照らされた琵琶湖の湖面に立つさざ波が、まるで兎が波の上を走っているように見えるということだそうだ。琵琶湖が、人々に穏やかで清々しい印象を持たれていたということがよく分かる、素敵な詞章だと思う。そういえば、「ささなみの」というのは、近江の枕詞だった。それから、兎が波の上を走る様子を図案化した名物裂、「竹生島」というのもある。


新幹線で琵琶湖近辺を通る時は、そんなに興が沸くような風景が残っているようには見えないけど、こういうお話を聞くと、なんだか、うっとりとした気分になって、是非とも竹生島に行ってみたくなる。


演能自体は、残念ながらミスが何カ所かあったり、笛が私の好みとは違っていたけど、詞章も美しいし、メロディアスな旋律の謡で、気分よく観終えました。


その日は、馬場さんの新刊『日本の恋の歌』の発売日で、馬場ファンの私は早速、上下二冊ゲットした。馬場さんの解説が面白く、改めて、日本の古典文学の基本は和歌だなあと思わされました。