「鉄輪」と鬼と蛇と天狗

先日、お能の「鉄輪」を観た時、主人公の女の嘆きとその打杖を振り下ろすのに躊躇する姿に、その女の鬼になろうとしても鬼に成りきれない忸怩たる心情と、今でも夫を愛する気持ちを観たように思った。だから、最後に、鬼となった女が、

時節を待つべしや。まずこの度は帰るべし。

といって帰っていく様子を観ても、この人は、夫の心変わりをなじることが如何に不毛かを悟り、かつ、夫に対する愛情が残り続ける限り自分が決して夫に復讐できないということを受け入れ、そのまま余生を過ごすのでは、と想像した。

ところが、その後、馬場あき子さんの『鬼の研究』(ちくま文庫)を読んでいたところ、そんな甘い話ではなかったことが分かり、驚いた。なんと、この「鉄輪」の女は、橋姫であり、後に一条戻り橋で渡辺綱に腕を切られた鬼でもあるのだ。

そもそも、この「鉄輪」のお話は、『平家物語』の屋代本等にある「剣の巻」にある話で、源満仲が手に入れた宝剣、髭切丸と膝切丸にまつわるエピソードの中で語られている(この話自体はその後、「土蜘蛛」の話にまで続いていく)。


お能の「鉄輪」と「剣の巻」の鉄輪の女のエピソードを比べてみると、まず、「鉄輪」では貴船明神の御神託は、

頭には鉄輪を戴き。三の足に火をともし、怒る心を持つならば、忽ち鬼神と御なりあらうずる

というものだったが、典拠となる『平家物語』「剣の巻」では、貴船神社に七日籠もって「生きながら鬼になし給え」と祈る女に対して、貴船明神は、

鬼ニ成リ度(たく)ハ、姿ヲ作リ替テ、宇治ノ河瀬ニ行テ三七日浸ベシ。サラバ鬼ト成ベシ。

という託宣をするのだった。そのせいで、この女は「宇治の橋姫」とも呼ばれているというのだ。「橋姫」は宇治橋のたもとにある橋姫神社の祭神であるだけでなく、京の男女を食い殺したという伝説がある。

そして、女は後妻になった女と夫、およびその縁者を例外無く、ことごとく失踪させてしまう。嗚呼、つまり、お能「鉄輪」の最後に、「時節を待つべしや。まずこの度は帰るべし。」と言ったあの女は、その後、その言葉通り、好機を得るや、夫と後妻ならびに縁者を皆殺しにしてしまったのだ…というのが、「剣の巻」にある「鉄輪」の典拠となった元のエピーソードだった。

お能の方でも、そのことを踏まえているようで、先日観た「鉄輪」では、後シテの鬼には「橋姫」という面が使われていた。女の別名を「宇治の橋姫」という、とあることから考えると、「鉄輪」の後シテのために出来た面なのかもしれない。

この「橋姫」という面の特徴は、馬場さんの『鬼の研究』の中の表現を借りれば、「<角(つの)>が立っておらず、小さな丸みを帯びた、小鹿の角のようなものがついている。表情も鬼というよりはすでに人間の女のもの」で、「惨憺たる悲哀と苦悩を示している」(P.252)というような面だ。

馬場さんによれば、お能では、女性の邪悪や嫉妬・邪淫の思いなどが募って、蛇体となると考えられており、その<蛇(じゃ)>というのを尺度として、「道成寺」は蛇になりきってしまうので<本成(ほんなり)>、「葵上」は後場の最後で解脱し成仏するので<中成(ちゅうなり)>、「鉄輪」は自力では鬼になれず貴船明神の力を借りるので<生成(なまなり)>としているという。面はそれぞれ、「道成寺」は本来は「蛇」の面(現在は般若で定着)、「葵上」は<半蛇>と通じるという「般若」の面、「鉄輪」の面は「橋姫」となる。「道成寺」の蛇の面は、観世喜正師と正田夏子氏の「演目別にみる能装束」に、室町時代の昨という観世流宗家の「泥蛇」の写真があるが、まるで蛇の首の骸骨のような相貌で、人間味の名残を読み取ることのできる般若とは、明らかに異なる。そして「橋姫」は、人間の哀切や苦悩の表情をしている。

考えるに、この「鉄輪」の作者は、この橋姫であり一条戻り橋で綱に腕を切られた鬼となった女が、貴船神社で「生きながら鬼に成らせ給え」と祈ったという、そこまで思い詰めた内面を、もっと掘り下げたかったのではないだろうか。おそらく鎌倉時代に成立したのであろう「剣の巻」は、自分をないがしろにした夫を恨んだ女を、説話的素朴さで鬼にしてしまった。しかし、室町時代以降の人であろう「鉄輪」の作者は、鬼になる前の彼女の心の内を想像した。

まだ二十歳かそこらの彼女は、夫と、これから「玉椿の八千代、二葉の松の末かけて」変わらず、末永く一緒に暮らしていこうとお互い誓い合った筈なのに、その夫は外に妻をつくり、そちらの方に行ってしまった。女は来る日も来る日も、夫恋しさに嘆き、夫の不実に怒り、自分の不運を恨んだ。そして寝ても覚めてもこの嵐のような感情から逃れられぬ狂おしさに、夫が自分の方を振り向いてくれないのであれば、むしろ自分は鬼となって、自ら夫の命を奪おうと思い至り、貴船明神に赴いて、七日間、祈り続ける。
そこまで思い詰めても、鉄輪の女は、「道成寺」のまなごの庄司の娘や「葵上」の六条御息所のように、自ずと鬼になってしまったのではなく、貴船明神の力を借りなければならなかった。実際、彼女は鬼になって恨みつらみをかき口説くのに、後妻に対しても夫に対しても一息に報復することが出来ない。そうこうしているうちに、阿部晴明の調伏が効を奏し、魑魅鬼神をもって間一髪のところで彼女の気勢をそぐことに成功する。

最後に彼女は、「時節を待つべしや。まずこの度は帰るべし。」と言いつつ、帰っていくが、この詞は、最後に解脱し成仏する「葵上」の六条御息所が漏らす、

これまでぞ、怨霊。この後(のち)又も来るまじ。

という詞と対照的だ。

鉄輪の女は、魑魅鬼神に復讐を邪魔立てされたとき、捨てきれない夫への愛情や迷いを捨てる決心をしたのかもしれない。だから、「時節を待つべしや。まずこの度は帰るべし。」と言った時、彼女は本当の鬼になってしまったのかもしれない。そう考えると、「鉄輪」の作者は、女が鬼になる前の最後の瞬間に見せた、人間らしい愛情や優しさの最後の欠片が飛び散る時の、線香花火の最後の火種が落ちるのを見るような瞬間を描きたかったのかもしれない。


その後ほどなく、彼女は、京中の男女を身分の上下を問わず、襲うようになった。男に対しては形よき女となって、女に対しては男に変じて。都では人々は恐れおののいて、戸を堅く閉ざした。そんなある夜、馬に乗る渡辺綱と一条戻り橋で出会うことになる。

文楽の『増補大江山』「一条戻り橋の段」の鬼女、若菜は白に露芝の被衣に薄紫の振り袖姿だ。しかし、「剣の巻」の宇治の橋姫と言われた女は、紅梅の上着に、赤い掛け帯という姿で、赤い衣を着ていた「鉄輪」の女の姿を彷彿とさせる。

彼女は、渡辺綱に家まで送ってくれというと、散々綱を振り回した挙げ句、実は家は京の外にあるのですという。綱が、「何(いづ)クニテ候トモ、女房ノ御渡有シ所ヘ送リ奉ルヘシ」と答えた途端に、女はみるみる姿を変え、怖ろしい鬼の姿となって綱に襲いかかる。しかし、綱はこのような事態に備えて髭切丸を所持していた。綱に片腕を切られると、住処の愛宕山に逃げ帰る。

綱からその夜の顛末の報告を受け、鬼の片腕を受け取ったた頼光は、阿部晴明を呼び、意見を聞く。晴明は綱に七日の休みをやるよう進言し、その間に自分は祈祷を行うという。綱は七日間、人払いをして謹慎するが、七日目の夜、綱の乳母でもある伯母が何故か急に訪ねてくる。綱は事情を言い、今夜はどことでも宿を取り、明日訪ねてきてほしいというが、伯母は綱が乳飲み子のころから十四、五まで慈しみ育ててきたこと、いつも会いたいと思っていたが綱が忙しく会えなかったこと、ここ連日、人が死ぬ夢を続けてみていて居ても立っても居られなくなったこと、等を、面々と訴える。その詞にほだされた綱は、伯母を家に引き入れるが、その伯母は鬼の手を見つけると、「我カ手ナレハ取テ行ソ」と言って、破風を伝って逃げていってしまう。

馬場さんによれば、鬼には恥ずかしさ、恨みといった情緒傾向<あはれ>があるが、天狗は俗を離れた滑稽さや哀しさを含んだ<をかし>があるという。この鬼が綱から鬼の手を取り戻す辺りの顛末は、滑稽ささえも含んでいるが、乳母である伯母の嘆きは、まるで、鉄輪の女の夫を慕う口説きのようだ。その辺りが、彼女が紛れもない鬼だということなのだろう。彼女は、男には形よき女に変わり、女には男に変わって誘い出すというが、そうやって夫を誘った後妻のしたことを再現しては怒りをぶつけているのかもしれない。そう考えると、この人は、紛れもなく、悲しい、蛇体となった鬼になってしまったのだった。


ところで、最後に天狗について、少しだけ。馬場さんによれば、天狗が最初に文献に現れるのは、『日本書紀』だという。舒明天皇九年二月の記述で、大きな流星が東か西に流れ、雷に似た爆音が轟いた時のものだ。ある人は、「流星の音だ」と言ったが、ある僧は、

流星に非(あら)ず。是天狗(あまきつね)なり。其の吠ゆる声、雷に似れるのみ。

と言ったという。この僧は、『漢書』に、天に鼓があり、その音は雷のように聞こえるが、雷ではなく天狗の声で、ちょうど大流星に似ている、とあるのを知っていたらしい。

「天鼓」と「天の狐」と言われれば、『義経千本桜』の四段目の源九郎狐を思い出す。あの話には後白河院から下賜された初音の鼓が出てくるし、お能の「天鼓」と同じく、鳴らない鼓と親子の情というテーマが共通している。こういうのを見つけると、ますます古典の森を散策するのが楽しくなる。