国立能楽堂 働く貴方に贈る 邯鄲

<国立能楽堂スペシャル>
◎働く貴方に贈る
対談  
能   邯鄲(かんたん)盤渉(ばんしき)  梅若紀彰(観世流
http://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2013/1967.html

対談

林望先生と八塩圭子さんの対談、なのだけど、ほとんど林望先生の独壇場で邯鄲および能楽一般の解説で終わった。


リンボウ先生の話で一番おもしろかったのは、なぜシテの盧生が五条袈裟のようなもの(掛絡(から)というらしい)を着けているかという話。私自身、盧生が名乗リで、「我人間にありながら仏道をも願はず」と言うのにその首には掛絡が掛かってるのが変だなあと観る度に思っていた。

リンボウ先生によれば、これは、その後にある詞章の「まことや楚(そ)国の羊飛山(ようひさん)に尊(たつと)き知識のまします由(よし)承り及びて候ふ程に、身の一大事をも訪ねばやと思ひ、ただ今羊飛山へお急ぎ候」という一節が関係あるらしい。私はここにある「尊き知識」というのを文字通り、「尊い知識」だと思っていたのだが、これは「高僧」という意味らしい。確かに、国語辞典にも「知識」の意味として「仏法を説いて導く指導者。善知識。」とある。仏教の高僧を訪ねていくのだから、結局は仏教に帰依したいと考えているし、高僧に敬意を表して掛絡を着けているっていう感じだろうか。今までの疑問が氷解して、「今日は国立能楽堂に来て本当に良かった!」と思ったのだが、後ほど、さらに興味深いものを観てしまったのだった…。

それから、「邯鄲」の典拠について。唐代の小説『枕中記』や『太平記』巻二十五にあるエピソードなどが挙げられるが、どれもお能と全く設定が同じ話というのは無いのだとか。そして、ちょっと記憶が定かでないけどリンボウ先生は中世の人々が『枕中記』を読んでいたか疑問に感じていらっしゃったようで、『太平記』のエピソードあたりを典拠に脚色したのではないかというような話だった気がする。

太平記』のエピソードには枕の持ち主の呂翁という道士が出てくるが、それがこのお能では宿屋の女主人に代わっている。それは、何となく理由が分かる気がする。このお能のテーマを描いた「一炊の夢」のエピソードは。要するに「栄華を極めた人の人生も、その人の死と共にに消失する。粟を炊く間の夢と変わらない、はかないものだ」ということを示すもので、まさに仏教の諸行無常を描いたものだ。「邯鄲の枕」自体は仙術を思わせる、いかにも道教っぽい道具立てだけれども、お能のテーマ自体は道教の教えというよりも仏教的な価値観に依拠しているので、『太平記』にでてくる道士の代わりに宿屋の女主人が対応することにして、道教色を薄めたのではないかなという気がする。


邯鄲

狂言口開で、アイの宿の女主人が、以前、仙人が置いていった枕について述べ、それを使ってまどろむ人は「来(こ)し方行く末の悟りを御開きある」枕なのだと説明をする。

そこに[次第]で、シテの盧生くんが現れる。私のなかの盧生くんのイメージは、書生さんというものだ。盧生くんは、子供の頃はその聡明さから神童と呼ばれて将来を嘱望されていたのに、いざ周囲の人の期待を一身に背負って科挙の試験を受けてみたら、これがなかなか合格できない。辛酸を嘗めて何度もトライするが、いずれの年も不合格。しまいにはグレた挙げ句、人生に絶望して、ある晴れた日、「羊飛山に尊き知識のおはす」という話だけをたよりに、ふと放浪の旅に出ちゃった人…ということに、私の妄想の中ではなっているのです。

が、[次第]の囃子の中、橋掛リをゆっくりと歩む盧生くんが、今回はいやに成金趣味なので、「盧生くん、いったいどうしちゃったのかしらん?」と思ったら、[次第]を謡うために盧生くんが見所側を向いた途端、盧生くんが今回は、掛絡を掛けていないことに気がついた。ふつうは最初は掛絡をしていて、そのおかげで盧生くんは最初は何となく地味な雰囲気がある。そして、夢の中のシーンになると、掛絡を脱いで、一転、盧生くんはきらびやかな楚国の皇帝の姿となるのだ。ここでは掛絡は、現実世界と夢の世界の対比の象徴として利用される。ところが今回の盧生くんは、最初っから掛絡を着用せず、皇帝と同じ姿なので、ちょっと焦ってしまった。

結局、盧生くんが本舞台に入ると、さりげなく後見の人が盧生くんに掛絡を掛けたので、たぶん、本番直前にシテの人が体調を崩したとか、よんどころない事情で、掛絡を掛けていないことに気づかないまま出てしまったのだろう。そのおかげで、残念ながら邯鄲の枕の夢の中で盧生くんが皇帝になっても、印象的には「橋掛リにいた盧生くんと同じじゃん!」みたいな感じになって対比の効果がなくなってしまい、演能は、一見、不幸な結果になってしまった。

がしかし、これはこれでおもしろかった。というのも、「邯鄲」では、最後、盧生くんが枕のおかげで悟りを開いたと喜んで去っていくが、いつも、本当に後生その悟りを堅持して安泰でいられたのかどうか、いぶかしく感じたりもするからだ。

盧生くんが、六十代ぐらいの人だったら、まだ分かる。「皇帝の人生の夢をみたけれども、皇帝の人生でも無名な人の人生でもどちらも一炊の夢、自分の人生も捨てたもんじゃない」…みたいな悟りがあれば、その後はきっとそれなりに悟って暮らしていけるだろう。けれども、この「邯鄲」の盧生くんは大変若い(たぶん)。だから、そのときは「悟った!」と思っても、数年も経てば、「いやいや、こんな人生で本当にいいんだろうか」みたいな迷いが沸き上がってきて、夜な夜な眠れずに、一晩中、寝返りを打ったりしちゃうんじゃないかという気がしてこないわけでもない。だって、一度は人生を捨てて旅にでちゃったくらい、人生について諸々深く考えこんでてしまうような人なのだ。

ところが今回の盧生くんは冒頭、掛絡をつけてなかったので、貧乏書生というよりは、高家のおぼっちゃま風だったのだ。だから皇帝になっても、劇的に人生が一変して栄華を極めるという感じがしなかった。となると、おぼっちゃまな盧生くん的には、「うーん、皇帝になってこの世の春を謳歌しても、別にそこまで楽しいわけじゃないよね。いろいろ執務とか権謀術数とかめんどくさいし。だったら、まあ、今のままでもいっか。」みたいな悟りもあるかもしれない。これは、貧乏書生の盧生くんの悟りより、何か実感が伴っていて、あまり色あせそうもない気がする。

とはいっても、そんな風に思うのも、私が現代の人間だからだろう。中世の人々は、人生は仮の宿りで、仏教に帰依して熱心に念仏を唱え、極楽往生するのが本当の幸せと、本気で信じていたのだと思う。逆に、そういう前提があると考えないと、「邯鄲」だけでなくその他の様々な曲も根底から理解が瓦解してしまい、魔法が解けてしまったように、お能が無味乾燥で荒唐無稽な、つまらないものになってしまう。お能は、現代の感覚で観ても、もちろんおもしろいが、中世の人たちがどう考え、どう感じたのかということを考えながら、できるだけ中世の人の気持ちに近づこうと思って観観ると、現代の私たちの想像しているよりずっと豊かで色鮮やかな世界を垣間見せてくれるような気がする。

今回、はからずしも「邯鄲 盤渉 替装束 無掛絡」というスペシャル・バージョンを観ることで、また改めてお能の面白さを教えてもらった気がした。お能って、奥が深いな。