観世能楽堂 9月観世流定期能

能 通小町 雨夜之伝(あまよのでん) 関根 祥六
狂言 因幡堂 禅竹十郎
能 遊行柳 青柳之舞 観世 清和
能 大会 観世 芳伸
http://kanze.net/index.php?id=217

観たい曲ばっかりだったので、行ってきました。


通小町 雨夜之伝

一日にお能を三番も観ることになるので、あまり最初から集中しすぎないようにしようと思ったが、関根祥六師の深草少将が登場するや否や惹きつけられずにはおられなかった。

深草少将は黒頭に痩男の面なので、演じる人によっては小面の小町と全く釣り合わない恐ろしい亡霊に思える時もあるが(そのように解釈し演じているのだろう)、祥六師の少将は全く同じ出立なのに、貴公子然としていて、小町と不釣り合いという感じは全くしない。何故、演じる人によってこうも感じ方が違ってくるのか、つくづく不思議に思った。



先日、角川学芸出版『能を読む① 翁と観阿弥 能の誕生』の「通小町」の解説を読んで、「通小町」は元々は唱導僧が原作者で、五戒(邪淫戒・偸盗戒・妄語戒・飲酒戒・殺生戒)を中心とした話の展開となっていたということを読んだ。それで「通小町」という曲では、深草少将は五戒のうちの邪淫戒(百夜通いを成就できなかった遺恨)と飲酒戒が成仏の妨げになっていて、その二つを成就することで少将と小町の二人が無事成仏するという話なのだと、自分なりに理解した。そうやって理解してみれば、今まで、「通小町」のラストで、百夜通いを成就し小町と祝言をあげんとする深草少将が「飲酒(おんじゅ)はいかに」との問いに、「月の盃なりとても戒めならば保たん」と答えると少将と小町が成就するという、不可解に思われた流れも、違和感なく観ることができた。改めて詞章の意味はできるかぎり理解しようと努めた方が良いと思った。

「通小町」のシテツレ小町は、小面の面をすることが多い。一方、小町が中入りした後、ワキの僧が「ただいまの女をくはしく尋ねて候へば をのとは言はじ薄生ひたる 市原野(いちわらの)に住む姥(んば)にてあると申し かき消すやうに失せて候」という詞を重視し、中入り前は小面よりもう少し年齢の行った女面を付けることがある。今回は、中入り前は深井のような感じの面を着け、若い女性の装束に使う紅の色を使わない、紅無のクリーム色に秋草を配したような唐織だった。

ワキの僧が小町の回向をするために一夏を送っていた草庵を出て市原野に赴き読誦していると、再度、橋掛リに小町が現れる。このときは、深草少将との百夜通いの再現のため、小町は小面に紅入の扇面文様の唐織だった。

小町が僧に「嬉しのお僧の弔らひやな 同じくは戒授け給へや お僧」と言うと、幕のうちから「いや叶ふまじとよ戒授け給はば 恨み申すべしはや帰り給へお僧」と、低いくぐもった恨みの籠もった声がする。そして、小町が反論するも少将は僧に授戒しないよう訴えるため、小町の「人の心はしらくもの われは曇らじ心の月 出でてお僧に弔はれんと 薄押し分け出でければ」で、揚幕が開き、シテの深草少将が現れる。新潮日本古典集成の『謡曲集(上)』にある「通小町」には、小町の「嬉しのお僧の弔ひやな」の直前にある[一声]の囃子の時にすでに揚幕が上がり、シテは一ノ松に来て常座にいる小町とこの一連の問答をすることになっているが、2012年8月に観た能楽座自主公演の観世流・大槻文蔵師の「四位少将」(古式の通小町、シテは梅若玄祥師)も、今年2013年7月に国立能楽堂の定例公演で観た喜多流・粟谷能夫師の「通小町」も、幕が上がって少将が登場するのは「薄押し分け出ていけば」のところだった。幕の中から声をかけるという演出は詞章が聞き取りにくくなるので、観る側の詞章の理解を部分的に損なう危険をおかしてまですべき演出なのか、私自身は疑問に思ったりする時もあるが、今回は、それほど聞こえは悪くなかったし、この方が、より煩悩のとらわれた少将の心はよく現れるという考え方は分かる気はする。また、昨年の大槻文蔵師の古式の通小町でもその演出をとったということは、むしろ、新潮日本古典集成の『謡曲集(上)』に掲載されている演出よりも、こちらの方が古い演出なのかもしれない。


幕から現れた深草少将(関根祥六師)は、黒頭に痩男系の面、白地に金の巴文様のある小袖に紫に丸文の指貫という出立で、何かに憑かれたように前のめりでつつっと滑るように橋掛リに現れると、「思ひは山の鹿(かせき、ここでは鹿は菩提を象徴する)にて 招くとさらに止まるまじ」と言う小町を三ノ松で手招きし、「さらば煩悩の犬となつて 打たるると離れじ」で、常座付近にいる小町の背後に迫り、少将の方を振り向いた小町と対面すると、「たもとを取つて引き止むる」で小町の袖の袂をつかむ。小町は少将のそばを離れ、少将は、「わが袖もともに涙の露 ふかくさの少将」で、いまいましそうに足拍子を踏むと少将と小町の二人はワキの僧の方を向く。

僧が二人が深草少将と小野小町だと気づき、百夜通いを再現するよう促すと、「もとよりわれはしらくもの (少将に)かかる思ひのありけるを」で小町はワキ座に座する僧の脇に行く。

深草少将は小町の戯れ言から百夜通いをすることになり、車の榻(しじ)に一夜づつ数を刻んで行ったことを語る。深草少将には輿車も馬もあったが、「君(小町)を思へば徒歩跣足(かちはだし)」と、少将は後見から笠を受け取り、百夜通いの時の「笠に蓑」の姿を再現する。

雪の夜に袖の雪を打ち払ったこと、雨の夜には「目に見えぬ鬼一口もおそろしや」で『伊勢物語』六段の在原業平が高子を背負って逃げた時、鬼が追ってきたという物語を思い出し恐怖を感じたこと、たまに訪れる曇らぬ夜でさえ、「(我が)身一つに降る涙の雨か」と思うと、[立回リ]となる。

[立回リ]では、闇夜に篠つくような雨を表す太鼓が入り、笠を両手で掲げた少将がシテ柱のところまで行って大小前まで一周して、さらに橋掛リに行き、一ノ松で笠を落とす。少将は膝を折って笠を拾うが、そのまま力なく座り込む。このあたりの演出が「雨夜之伝」ということらしい。

夕方になって、月が待っていようと、小町は待っていない。あれは戯れ言だったのだ。暁にはまた数々の思いが募る。鳥もよし鳴け、鐘もただ鳴れ、独り寝ならば辛くはあるまい。こんなに心を尽くしても尽くしても…と橋掛リの一ノ松に座りこんだままの少将だったが、ふと車の榻に刻んだ小町のもとに通った数を指を折って数えてみるとすでに九十九夜となっており、今日こそが、百夜通いの成就の日だと気づく。

その事実に力を得た少将は「今ひと夜よ 嬉しや」というと立ち上がり、「急ぎて行かん」と本舞台の正中に立つ。「姿はいかに」と我が姿を確かめ、「笠も見苦し」で笠を捨て、「風折烏帽子」で扇を取り出し、「蓑を脱ぎ捨て」で扇で蓑を取る所作をする。「花摺(はなずり)り衣の色襲ね うらむらさきの藤袴」で指貫に手をやる。

少将を待つ小町のところに急ぎ行かなければならない。ああ、忙しい。衣紋を気高く引き繕って小町のもとに訪れた少将は、正先でひざまづき祝言の盃を扇で表現し、「飲酒はどうするか」と思う。一瞬、間があったあと、少将は小町の方を見ながら、「月の盃」(美酒の入ったかずき)であろうと、戒めならば保とうと誓う。すると「ただ一念の悟りにて」で小町はワキの僧の傍らから立ち上がり、少将と小町は大小前に並ぶ。そして「多くの罪を滅ぼして 小野の小町も少将も ともに仏道成りにけり ともに仏道成りにけり」で、二人は合掌して終曲となる。

観終わって、今まで観た「通小町」で最後の場面がどう処理されていたか気になった。実は、いつも唐突な終わり方に消化不良な感覚の方が強くて、思い出そうとしても、「唐突に物語が終わり、置いてけぼりな気分のままの私を残して橋掛リを帰っていく二人を見送った」という印象ばかりで、具体的な終わり方が記憶に残っていない。

今回の祥六師の「通小町」の最後は、少将と小町が二人並び、ゆっくりと合掌することで終わり、「ああ、この二人は無事成仏したんだな」と観る者の方も心が満たされる終わり方だった。そう思ったのは、私が本を読んでこの曲の意味を納得したということもあるし、何より祥六師の処理の巧さも大きな要因だろう。

いつも最後は私をおいてけぼりにしていた少将と小町の物語だったが、今日は、私も、二人の絆が結ばれ二人が共に成仏する姿を観て、初めてこの曲で心が浄化される思いを味わった。これは実はハッピーエンドの曲だったんだと、しみじみ、温かい気持ちになれた。

というわけで、その2に続く予定です。