国立能楽堂 30周年記念公演 翁 楊貴妃 土蜘蛛(その1)

国立能楽堂開場30周年記念公演 〔一日目〕
翁(おきな)  観世清和観世流
能  楊貴妃(ようきひ) 干之掛 臺留(かんのかかり うてなどめ)  梅若玄祥観世流
狂言 萩大名(はぎだいみょう)  大藏彌太郎(大蔵流
能  土蜘蛛(つちぐも) 千筋之伝 ささがに(ちすじのでん ささがに)   金剛永謹(金剛流
http://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2013/3016.html

ただでさえ観阿弥生誕680年・世阿弥生誕650年で様々な催し物があるのに、国立能楽堂も三十周年記念ということで、特別企画が目白押しで大変です。


翁(おきな)  観世清和観世流

無音の中、橋掛リを面を入れた面箱(山本凛太郎師)、翁(観世清和師)、千歳(山階彌右衛門師)、三番三(山本東次郎師)、囃子方等が、しずしずと進む。最近すっかり私にとって能楽鑑賞のバイブルとなってしまった『能を読む(1) 翁と観阿弥 翁の誕生』の「翁」解説には、

演出においても、上掛り(観世、宝生)と下掛り(金春、金剛、喜多)の間で違いがある。たとえば、上掛りでは、面箱持は狂言方、千歳はシテ方が担当するが、下掛りでは、面箱持、千歳を一人の狂言方が勤める(したがって、翁舞のあと、上掛りでは翁と共に千歳も退場するが、下掛りでは翁だけが退場する)。

とある。今回は観世流で上掛リなので、狂言方の面箱持とシテ方の千歳の両方がいた。そういえば、能楽の「翁」を文楽に写した「寿式三番叟」は、千歳が面箱持を兼ねているので、この解説からすると下掛りの「翁」を写したものということになるようだ。歌舞伎はうろ覚えだけど、たぶん、歌舞伎もそうだった気がする。

ついでに『翁と観阿弥』の「翁」の解説でもう一つ興味深かったのは、「翁」は今はお正月など特別な時しか舞われないが、江戸時代は一日の番組の必ず舞われていたという記述。確かに五番立てが普通であれば、当然、一日の番組は「翁」から始まるのだろう。その場合も今のように「翁」の演能中は見所への出入り禁止となっていたのだろうか。江戸時代の寺社等で行われる勧進能の絵を見ると見物の人々で大変混雑していて、出入り禁止などの措置は難しそうにみえる。文楽は本公演では、今でも当日の演目の中に三番叟がある場合を除き、開演の15分くらい前に三番叟が演じられる。あれは客席へのドアが開け放たれていて全然出入り自由なのでロビーにいる人も多いし、観ている人も多くは座って鑑賞するというよりは、通路やら壁際やらに立って観ている(なぜか立って観たい気がする)。たぶん、お能の「翁」も文楽の三番叟も源は同じだと思うが、今では扱いが全然違うようだ。

それからもう一つ、『脳を読む(3) 元雅』にある「禅竹ー中世的思考の花」(中沢新一)にある翁芸に関する記述もおもしろかった。引用すると少し長くなるけれども以下のような指摘が非常に興味深い(P.576)。

翁の芸は、その潜在空間が現実世界に突出してくる様子を仮面(黒い仮面であることが多い)神の出現で表現する。あの世がこの世にせり上がってくるのであるから、その表現は必然的に生成的であり、かつ「幽玄」である。大地の霊はこのようにして出現する。人間は大地霊にたいするときには、天の神に呼びかけおぎ降ろすようなことができない。いや高き天の神はコミュニケーションの神であるから、祝詞によって呼びかけをおこなう方法が効く。ところが大地の霊は、コミュニケーション以前の空間に住まうものなので、人間の呼びかけに応えて出てくるような存在ではない。

その霊に出現(みあれ)を請うためには、空間を幽玄にしつらえ、人間自身が神に向かっての変容を起こし、息を殺してひたすら出現の時を待つしかない。人間の計画は大地霊には通用しないからである。すべてを偶然にゆだね、人間であることさえ放棄して、変容に身を委(ゆだ)ね、遊びの精神で出現を待つしかない。それゆえに大地霊の出現は宗教の管轄ではなく、芸能の管轄のものとなる。

だから翁を舞う能役者は精進潔斎や別火をするのだなあと思う。そして、「芸能」というのはコミュニケーションと似ていながら一線を画しており、享受する者は、例えばお能だったら謡や囃子、舞そのもの表層的な理解を超えたところで、それらを心の深層で感受することで、その神髄に触れることが可能となることの理由が少し分かった気がした。


三十周年記念の清和師の「翁」の話に戻すと、面箱持は本舞台に入るといったん箱を高く掲げて、シテ柱付近でシテ柱に背を向けて座る。翁を演じる清和師は直面で舞台の正面に立つと手を片方ずつ、最初は左手を向かって左に広げ、次は右手を右側に広げという所作をする(「翁」の中ではこの所作は段落の区切りのような役割を果たしているようだ)。まるで鳥が羽を確かめるよう。それが終わると下居して深々と拝礼する。鏡板の老松は実は能舞台と見所の間にあると信じられていた、目には見えない影向の松を写したものとされているが、多分、翁を演じる能役者は、ここでは見所ではなく影向の松に向かって拝礼してるのだろう。清和師は立ち上がると笛柱近くで面箱持と相対して座る。

面箱持は面箱を高々と掲げると、清和師の前に箱を置き、箱に向かって何かをするが、何をしているのかは残念ながら私の席からは見えなかった。『謡曲大観』には、「白式尉面を箱より取出し、蓋の上に置」くと書いてある。

面箱持がワキ座に座してからいったん立ち上がると、橋掛リで待機していた千歳、三番叟、後見、囃子方地謡などが本舞台に入る。千歳はワキ座、三番叟はシテ柱、囃子方は常の囃子方の場所、後見、地謡囃子方の後ろに座ると、三人の小鼓(頭取:大倉源次郎師、飯田富宏師、古賀裕己師)が奏し、その中で翁が拍子不合で、
「とうとうたらりたらりら、たらりあがりららりとう」
と、謡い始め、地謡がそれに続く。

千歳が
「鳴るは滝の水、鳴るは滝の水、日は照るとも」
で始まる一節を謡い、正先で[千歳ノ舞]を舞う。

千歳の
「君の千歳を経ん事も、天つ少女の羽衣よ」のあたりから、清和師は白式尉面を付け始める。

ヒシギが奏され、面を付けた翁が、
「総角やとんどや」
と謡い始める。
翁が、
「参らうれんげりやとんどや」
と謡うと、三番三と向かい合う。
「ちはやぶる、神のひこさの昔より久しかれとぞ祝ひ」
で両手を広げるポーズをすると、
「およそ先年の鶴は、萬歳楽(まんざいらく)と謳うたり」
からは囃子は付かない謡。そして、[翁ノ舞]となる。

[翁ノ舞]では、乱拍子の足遣いが最初にある。

先日、『第一回 世阿弥シンポジウム』の第二部のワークショップに伺ったとき、乱(蘭)拍子のある能として、「翁」「道成寺」「桧垣」などが挙がっていて、清和師等の実演があった。乱拍子というくらいで足の遣い方に特徴があり、小鼓の音に合わせて、つま先を上げたり、つま先を右左に動かしたり、また踏み込むというような動きがあるようだ。

また、乱拍子の囃子は大鼓が入らず、小鼓と笛だけで演奏するのが特徴だという話だった。大鼓を床に置くので「置鼓」と言うが、置鼓は本来は各曲の最初に奏される音取(チューニング、「清経」の「恋音取」の小書の音取はこの音取)の音楽なのだそう。ただし、能楽では雅楽のように音取で本当にチューニングするわけではなく、音楽として演奏され、場を鎮める役割があるのだそうだ。大倉源次郎家の伝書には、
「置鼓は乱れなり」
という記述があるそうで、「置鼓」すなわち小鼓と笛の囃子が乱拍子の囃子なのだという。また、小鼓+笛というの組み合わせが、大鼓が導入される以前の申楽の囃子の姿だったというお話。

その囃子は「翁」の翁舞や「道成寺」の乱拍子の囃子を思い浮かべれば分かる通り、小鼓が速い速度でリズムを刻んでいくのが特徴だ。能楽では明治時代に一小節を八拍の「八つ割」としているそうだが(大倉流は十六拍を一単元にしているそう)、乱拍子はその「八つ割」を「一ツ頭」というリズム・パターンで打つのが共通しているのだという。先日の「世阿弥シンポ」では実際に、大倉源次郎師自らが「一ツ頭」のリズムを聴衆に教えてくださり、「エア小鼓」(左手でグーをつくり、それを右肩の上に持っていき、そのグーを右手で叩く)で見所もまさかの「一ツ頭」演奏体験!おもしろかった…。それによれば、まず三人の小鼓のうちの頭取の掛け声が「イヨー、ホ、ホ、ホ」と1、3、5、7拍目に入り、その裏拍になる2、4、6、8拍目に小鼓が入る基本パターンを4回繰り返すのが「一ツ頭」だという。さらにそのリズム・パターンには「受け」と「走り」があり、「受け」は基本パターンの3拍目に1打のみ小鼓が入るリズム・パターンで、「走り」は3拍目に2打、小鼓が入るリズム・パターンとなる。そして、4回繰り返される「イヨー、ホ、ホ、ホ」の3拍目に注目したとき、<受け>ー<受け>ー<走り>ー<受け>となるのが「一ツ頭」だという(確か)。


まあ、とにかく清和師の[翁ノ舞]はそんな感じの乱拍子風の足取りの後には、あのよく写真に出てくる、左手を頭の上に置き、口元を右手に持った扇で隠すというあのポーズをしたりする。

[翁ノ舞]が終わると、清和師は面を外して正先に進み出ると下居して拝礼する。そして千歳と共に橋掛リを帰ってく。その間、小鼓はラ♭シララというような音程でだんだんテンポを上げながら打っていく。


翁と千歳が幕の中に入ると、三番三がいったん常座のあたりに座り直し、[揉ノ段]となる。

東次郎師の[揉ノ段]は、スピード感ある切れのある舞で、まるで囃子の一部のように足拍子を交えながら、舞う。

[揉ノ段]が終わると、常座でクツロギ、黒式尉の面をつける。千歳との例のやりとりの後、千歳から鈴を受け取り、[鈴ノ段]となる。最初は非常にゆっくりの舞だが、だんだんとスピードが速くなっていく。

[鈴ノ段]が終わると面箱持のところに行き、面を渡して、三番三は退場していき、「翁」は終わる。


というわけで、その2に続く予定です。