国立劇場小劇場 文楽9月公演(その3)  伊賀越道中双六の通し

この週末、『伊賀越道中双六』の一部、二部を再見した。住師匠の「沼津」の語り、嶋師匠の渾身の「岡崎」、それから文雀師匠のお袖ちゃんが一番印象に残った。


住師匠の以前の大変緻密に計算された語り口は、それはそれで好きだったけれども、今の計算づくでない語りの方がより好きかもしれない。住師匠の語りは9月公演の時点ではもう本復といっていいのではという回復ぶりだ。それでも計算を越えたところで聴く者に訴えかけてくる何かがある。特に「千本松原の段」の段切の平作の「なむあみだ」は死の淵から搾り出された魂の詞という感じで壮絶だ。古典芸能の中で最も心を揺さぶる「南無阿弥陀仏」は、お能の「隅田川」で子方の梅若の亡霊が謡う「南無阿弥陀仏」だと思っていたけれども、今回の住師匠の「なむあみだ」にも心を揺さぶられた。十兵衛だってあれだけ心を揺さぶる「なむあみだ」を聞いたからこそ、「伏見北国屋の段」で敵方の志津馬に切られ、かつ股五郎の足取りを知らせようと決心したのだろうと思う。


嶋師匠の「岡崎の段」にも、心を奪われた。先日、嶋師匠が読売新聞のインタビュー記事の中で

16歳から文楽にいて、81歳になり、浄瑠璃の行間が大事だという思いにやっと至った。言葉が止まり、無言でいるときに語っていないといけない。そこに言いたいことや思いが凝縮されて詰まって、それでやっと『岡崎』のような大きな場面が完成する。

と話されているのを読んだ。

そう思って聴くと、確かに嶋師匠の語りの間やスピードによって浄瑠璃の詞章そのものには語られていない登場人物の心の奥や感情の動きがいきいきと表現されるのがはっきりと感じられた。

たとえば、幸兵衛(勘十郎さん)が政右衛門(玉女さん)を取り手から助けた時、政右衛門が思わず
「さ言ふこなたは何人」
と問いかけるのを打ち消し、幸兵衛が
「イヤサコリヤ、身に覚へないにもせよ、お役人に慮外の手向ひ、アヽ不屈至極」
と政右衛門を叱る詞の、武芸の師匠らしい厳しさや大きさ、同じ武芸を極めた者同士として窮地を助けるという深意。また、幸兵衛が政右衛門が何者か知ろうとして
「折り入ってお尋ね申す子細もあれば、見苦しけれど拙者が宅へ」
と政右衛門を幸兵衛宅に招き入れる時に二人の間に漂う緊迫感、幸兵衛女房(蓑二郎さん)に宿外れの森の中へ行くよう言われたお谷(和生さん)が絶望に沈み、もうろうとしながら詠う「来いといふたとて行かれる道か、道は四十五里波の上」の哀れな響き、お谷が幸兵衛宅に現れた時の政右衛門の慌てぶり、雪降る中で気を失うお谷の元に政右衛門が隙を見て駆け出し気付け薬を飲ませ、<「お谷」と叫びたい>と語る時の、その「お谷」という叫びの身を切られそうな切迫感。

たぶん近松半二も語られていない行間を太夫が表現することを想定して詞章を書いたのだと思う。嶋師匠の語りは富助師匠の三味線と相まって、義太夫というのは聴く芸能なのだということを改めて感じさせられた。

その富助師匠の三味線は、幸兵衛の箇所では険しい雪山を思い起こさせるような弾き方をし、政右衛門と幸兵衛のやりとりでも緊迫した場の空気を描いたかと思うと、「外は音せで降る雪に」というお谷の出の部分では一転して調子が変わり、中世説話に通底する情感である胸を締め付けられるような哀愁に満ちた曲調になりといった具合だ。近松半二の時代にすばらしい三味線弾きがいたという記述を岩波現代文庫の『文楽の歴史』(倉田喜弘)で読んだが、確かに三味線が面白いのは半二の作品の特徴だと思う。

三味線といえば、幸兵衛が庄屋から戻って以降、床が代わって団七師匠の三味線となったが、私が観た時は終盤、何か三味線にアクシデントがあったようで、急に低音部(?)の音程が大きく狂ってびっくりした。半音とか一音とかそういう生やさしい狂い方ではなく、旋律を覚えていない私などにはもう何音分ぐらい狂っているのか判断不能なくらいの音の狂い方だったので、どうするのかと思ったが、団七師匠は急いで調絃して数フレーズですぐに復帰した。その間、団七師匠も語っていた千歳さんも全く表情は変えず平然とされていて、さすが。


そして、文雀師匠のお袖ちゃん。『伊賀越』では男の人ばかり出てくるので、第二部の「藤川新関の段」でお袖ちゃんが初めて出てきた時、そのみずみずしく可憐な姿にはっとさせられた。「岡崎の段」でも、その可愛らしさが映える。幸兵衛女房の、
「父御は得心でも、この母が不得心、サなぜと言や」
で始まる股五郎との縁談の破談の話の間、お袖ちゃんの台詞は全くないが、語りや三味線より雄弁な表情を見せる。一応神妙に母の小言を聞きながらも「なにも今この話を出さずともよいに!」といわんばかりに顔を背け、大げさにため息を付き、上目遣いに横に座る志津馬の表情を探り…という一連の動きに、いかにも育ちがよく、気が強く、おしゃまな十代の女の子という感じが現れていて、とても愛らしい。

そして、眼八(清五郎さん)がお袖ちゃんに言い寄るところでは、
「エヽ汚い、うるさい、嫌らしい!」
とものすごい勢いで突っぱねるところも、いかにも潔癖で気が強い十代の娘という感じ。女の人ならティーンエイジャーの頃の経験として、身に覚えがあるに違いない。自分や友達の間で勝手に「気持ち悪い人」と認定した学校の先生やら周囲の大人や同級生に、ちょうどお袖ちゃんの「汚い、うるさい、嫌らしい」と似たり寄ったりの恐ろしく残酷な言葉を実際に本人に言わなくとも、陰で言い放ったりするものだ。こういうことは江戸時代の女の子もやっていたのだ。半二の若い女の子に対する観察力はすごいといつも思うが、それを今回、私の大好きな文雀師匠の娘の人形で見ることができてうれしかった。


また、今回観て、通しはうれしいけど、どうしても配役に偏りが出てしまうものなのだなとも思った。

たとえば、「沼津」は「沼津里の段」が津駒さん・寛治師匠、「平作内の段」呂勢さん・清治師匠、「千本松原の段」が住師匠・錦糸さんのリレー、「岡崎」は、中が芳穂さん・清馗さん、次が呂勢さん・宗助さん、切が嶋師匠・富助師匠、後が千歳さん・団七師匠のリレーだったが、ちょっと分割し過ぎな感もあった気がする。

とはいえ「岡崎」の方は、まだそれほど違和感は感じなかった。嶋師匠が段の最も重要な局面を一時間強、語り通し、それ以外の部分を一門の方々が適材適所で分担して語るという形だったからだと思う。

しかし、「沼津」の方は、語りも三味線も芸風が違うので、三者三様というよりは、六者六様という趣で、床の盆が廻る度に頭をリセットしなければならない感じだった。特に平作は場面場面で見せる表情が違うこともあり、一段の流れの中でも、津駒さん・寛治師匠の長閑な場面の好々爺な平作、呂勢さん・清治師匠の緊迫した場面での一本気な平作、住師匠・錦糸さんのぐっと年老いた情の深い賢老人の平作と、それぞれの場面では納得感があるが、全体通して聴くとちょっとブレがあるように感じられた。

一方で勘十郎さんは、平作をあまり軽妙には遣ったりせず、「沼津里の段」で荷物をよたよたと苦しそうに担つがさせたり、「平作内の段」では十兵衛の印籠を盗もうとしたお米を叱りつけ、くずれ落ちて号泣したり、「千本松原の段」ではどうしても十兵衛に股五郎の行方を言わせようと思い詰めた表情を見せ…と一貫して、「普段は人生の苦悩にあえぐ姿を見せまいとしているが、何かのきっかけて大きく人生の舵を切りそうな予感を感じさせる人物」という印象の遣い方をされていた。勘十郎さんの平作のお陰で少しづつブレのある語りが何となく一人の人物として焦点を結び、感動を阻害されれるということにはならなかったように感じた。

今回は、9月の東京に続き11月の大阪も同様の配役で演じられるということなので、そうであれば、一部配役を変えるなどの工夫があってもよかったかも。かといって、咲師匠・燕三さんでさえ「唐木政右衛門屋敷の段」のような、どうがんばってもそれほど感動的にはならない段しか回ってこないのだから、「沼津」に人間国宝が揃い踏みになってしまうのは、いたしかたないことなのかもしれない。聴かせる段が少ないということは、半二としては当時の竹本座の大夫陣が手薄、と感じていたのだろうか?それとも竹本座の財政逼逼迫など、何らかの都合で出演者を絞り込む必要があったのだろうか?

一方、「円覚寺の段」は後に四世野澤錦糸の作曲で復曲したもので、華やかで表情豊かな曲調で三味線が楽しい。華やかで力強い弾きぶりの籐蔵さんの三味線がぴったりだった。


これだけだらだら書いても感想はまだまだ書き切れませんが、時間もないので、またいつか機会があれば書きたいと思います。

それにしても、股五郎役の玉輝さんは朝一番から敵討ちの最後の最後まで出てきて大変。以前、歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』の通しを観たときは、最後の討ち入りは「半無精」とか何とかいう特例措置(?)で由良さんや師直は別の役者さんが演じていたが、文楽では律儀に玉輝さんが朝から晩まで遣っていた。玉輝さんのおかげで今回通しで観て股五郎がどういう人か分かったので、よかった。これで今後「沼津」の段切に、
「股五郎が落付く先は、九州相良、九州相良」
と十兵衛が平作に聞かせつつお米達に聞こえるように言う最も感動的な場面で、感涙にむせびながら、
「…でもって、股五郎って誰?」
と思わずに済みます。