国立能楽堂 普及公演 鬼瓦 実盛

平成25年度(第68回)文化庁芸術祭協賛 国立能楽堂開場30周年記念 <月間特集・世阿弥生誕650年?>
解説・能楽あんない 世阿弥の禅的背景 松岡心平(東京大学教授)
狂言 鬼瓦(おにがわら) 野村万作和泉流
能   実盛(さねもり) 塩津哲生(喜多流
http://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2013/1985.html

解説・能楽あんない 世阿弥の禅的背景 松岡心平

いかにして室町時代禅宗が台頭し、世阿弥の能を含む諸文化に影響を与えたかというお話。むちゃくちゃ面白かった。

足利義満が亡くなり、子の足利義持が政権を担うようになったのは世阿弥46才の時。以来、禅に傾倒し禅を最善とする義持の意向で、父の義満が採った各宗派との当距離外交を変更し、幕府は宗教的バックボーンとして禅宗が重視するようになった。そのような背景から、世阿弥らも禅的影響を受けた曲をつくるようになったのだそう。世阿弥臨済宗で禅の修行をしているが、60才で出家したときは、曹洞宗だったそうな。その前はきらびやかな天台宗の影響を受けたものを作っていたのだとか(確か)。

義持が禅に傾倒していたお陰で相国寺の画僧の如拙や中国の宋の画僧である牧谿もっけい)などに代表される、余白の美を追求した水墨画などが盛んになったのだという。

また、面白かったのが、一休宗純の話。金春禅竹が禅竹と名乗ったのは晩年だそうで、その「禅」の字は、禅宗から来ているのだそう。一休と親交があったという話はきいたことがあるが、金春禅竹が晩年、田辺市のあたりに庵を構えてそこに住んでいたのは、一休禅師がそのあたりにいたからという話だった。禅竹の孫の金春禅鳳の禅鳳という名は一休が名付けたのだそう。

大徳寺の一休の周辺には金春家以外にも芸能者が集まっていたらしく、観世宗雪の「宗」という字も一休宗純の系統から「宗」という字をもらっているらしい。その話を聞けて私がずっと疑問に思っていたことがちょっと解決した。室町から江戸初期の文化人には、「宗」という字が名前につく人が数多くいて、何故みんなこぞって「宗」という字をつかっていたのか、何がこの「宗」という字の源なのか疑問に思っていた。結局、そのうちの一部は多分、大徳寺の一休禅師の系統の流れを汲む人々なのだろう。千利休は宗易と名乗っていた時期があるが、彼は一休と親交がある。息子の宗旦の「宗」もそうなのだろう。そして私の大好きな絵師の俵屋宗達の「宗」も、大徳寺の一休禅師の系統を示す「宗」である可能性が高いと思う。彼は大徳寺にも出入りしていたから。この話を聴けて本当によかった。

「実盛」の禅的背景という意味では、世阿弥パトロンの話がある。世阿弥パトロンは義持ではなく(義持は音阿弥を支持していた)、管領で副賞群の細川満元で、彼を中心とする第一級の武士かつ知識人である人々のサークルが世阿弥の芸の愛好家だったのだそうだ。そのため、世阿弥は彼等が支持する禅的嗜好を取り入れ、また、彼等は世阿弥の演能に対して、例えば「実盛」の中に出てくる「『名もあらば名乗りもせめ』という詞の『せめ』の部分が良かった」といった非常にマニアックな批評を行い、そいいった知識人でマニアックな観客を持つことでお能のレベルが上がったのだそう。お能特有のゆっくりとした抑制された動きというのは、このような流れの中で世阿弥の頃に確立したものなのだとか。

それから、義持の前で世阿弥が演能しようとした時のエピソードもおもしろかった。世阿弥は、「井筒」と「盛久」(確か)を舞おうとしたが、義持は「そんなのではなく、『実盛』と『山姥』を舞え。」といったのだという。何となく、どういうものが所望されていたのかが分かる気がする。「井筒」は幼なじみの業平を一途に思う井筒の女を描いた曲で、「盛久」は源氏方に捕らえられた平盛久が首をはねられそうになったが観音様のご利生で刀が三つに割れて助かったという霊験譚。一方、「実盛」は、名を惜しむ武士の話で、「山姥」は山の自然のような精霊の話だ。きっと、義持は禅的センスで、どこか甘ったるいところのある曲を嫌ったのだろう。しかし、「山姥」が好きというのは面白い。以前、松岡先生は、「女性で『山姥』に共感する人は多いが、男性で『山姥』に共感する人は少ない。自分も『山姥』を観ても特に感情移入することはない」というような趣旨の話をされていた。私は「山姥」に共感し、感情移入して観るし好きな曲でさえあるので、男の人は「山姥」に共感しないし感情移入をしない人が多いというような話は衝撃だった。一方、「実盛」を所望するというのは、私には、なかなかすっと理解し難い。というのも、「実盛」という曲のどこに感動すればよいのか、イマイチよくわからないのだ。たとえば、白髪を黒く染めて合戦に出たというところに、樋口次郎がはらはらと涙を流す。何故、そこまで哀れに思うのかが理屈では分かるけど、共感するというところまでは行かない。しかし、義持は「実盛」と「山姥」を所望したのだ。彼に「山姥」と「実盛」の評価を聞けることなら聞いてみたい。

というわけで、その2に続けたいと思います。