横浜能楽堂 暗闇で聴く古典芸能

平成26年6月21日(土)
開場:午後5時 開演:午後6時
プレトーク 葛西 聖司、近藤乾之助、宮城 能鳳、豊竹嶋大夫
素謡「西行桜」 近藤乾之助
一管「津島」 松田 弘之
語り組踊「手水の縁」 宮城 能鳳
浄瑠璃「卅三間堂棟由来」豊竹嶋大夫
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夏至ライトダウンに併せて、真っ暗な中で耳だけを頼りに古典芸能を聴いてみようという、横浜能楽堂ならではの野心的な試み。宝生流シテ方の近藤乾之助師、能管の松田弘之師、文楽の嶋師匠、富助さんと、大好きな演者の方ばかりなので、お伺いしてみました。

今回の公演で、横浜能楽堂の企画意図とはうらはらに、古典芸能とは、単に詞章やそれを音声・音曲化したものではなく、演奏者の演奏する姿を鑑賞することを含めた総合芸術なのだと改めて再認識した。たとえば素謡や素浄瑠璃を聴く場合、経験的にCDやラジオで聴くよりもライブで聴く方がずっと感動が大きい。これは、演奏者と観客が同じ曲をライブで共時的に体験するからだと思うが、その際、個々の観客が演奏に共感・同調するためには、視覚的要素が大きな役割を担っている。暗闇の中で音だけを頼りに聴くことで、そのことに改めて気がついた。プレトークで、宝生流の近藤乾之助師が、「演能は相手方との呼吸が大事なので、暗闇は宜しくない。」という趣旨のことをおっしゃっていた。至極まっとうな発言ながら、今回の企画に駄目出ししているようなものなので、見所からは笑いが起きた。が、その後、暗闇を体験してみて、乾之助師の発言に納得したのでした。

しかし一方で、古典芸能における「音」の重要性も再認識した。学生時代、「いくら感情を込めて演奏しているように見えても、音にそれが表れていなければしょうがない!」という主張する音楽の先生がいて、私もその影響を受けて、畢竟見た目は関係なく、音のみが重要だと思っていた。しかし、古典芸能を鑑賞するようになって、少なくとも古典芸能のプロの演奏というのは、音だけではなく、演奏する姿やその生き方も含めた総合力としての芸能になっているのだ、という考えに変わった。しかし、こうやって暗闇で演奏を聴いてみると、音しか情報が無いので演奏上の瑕疵があれば目立つし、音のみで成立してこそプロの演奏なのだということを再認識させられた。やはり過去の私の先生の言葉にも一理あって、まず「音」のみの段階で成立していることの重要性や難しさを改めて感じた。

というわけで、示唆に富んだ、体験する価値のある試みでした。惜しむらくは、演者の方をすべて拝見することができなかったこと!特に松田弘之師は私としては久々にその笛を聞けたのに、お姿を拝見できなくて、残念。


素謡「西行桜」 近藤乾之助

座談会での乾之助師のお話によれば、乾之助師はお父上に習われたとか。乾之助師の西行桜の印象は、さっぱりした能だそう。確かに、殊に終曲部の部分は、朝焼けに最初に桜の白い花びら反応して白く光るという情景や、西行が夢が覚めると、「嵐も雪も散り敷くや。花を踏んでは同じく惜む少年の春の夜は明けにけりや」という詞章が続き、すがすがしい春の曙の風景を感じさせる。また、乾之助師は、お父上の西行桜は最後、笑尉の面が舞台に残ったような感じだったとおっしゃていた。

素謡は「謡宝生」というだけあってメロディアスで、聞き応えのある謡でした。


一管「津島」 松田 弘之

松山弘之師の笛。祝言で演奏される秘曲とか。曲の感じは「石橋」の後場で獅子が出てきた時の笛のメロディにを彷彿とさせる主旋律が何度も何度も繰り返されるというもの。その旋律は、少しずつ音階を上げていって終曲部にかけてクライマックスを演出する。「津島」というタイトルは津島神社ゆかりとも言われているけれども、実は関係ないらしいという解説だった。


語り組踊「手水の縁」 宮城 能鳳

組踊で唯一の恋物語なのだとか。あの柔らかで表情豊かな組踊は、この曲以外は仇討ち物がほとんどなのだそう。意外です。

葛西さんが事前に「同じ日本語だから耳を澄ませば意味はわかるはず!」と力説されていたが、聴いてみると結構、音から意味を汲み取るのは難しい。以前組踊を観た時はそれほど意味がとれなかったという印象はなかったけど、国立能楽堂だったので、字幕を観てたのかも。

しかし、だからといって面白くないかというとそんなことは全然ない。なにより瑞々しい旋律と語りがとても魅力的。その音は、気密性の高い能楽堂で聴くよりは、月に照らされた浜辺や木の葉の擦れ合う音が聞こえるような森で聴きたい感じ。お能の「弦上」では、音楽の才能豊かな村上天皇の化身の翁が、琵琶の名人の藤原師長の琵琶の演奏を聴くにあたり、琵琶の曲の音階と藁屋の屋根の苫に当たる雨音の音階が合っていないので苫を取り去って琵琶の音を聴く、という話がでてくる。組踊を聴いていたらその話を思い出し、この組踊は、きっと浜辺のさざ波や木の葉のふれ合う音にチューニングされているのだろう、と思いたくなった。

曲の後半は、まるでイタリア・オペラのアリアのように情熱的で、本州の音曲とはまた少し異なる印象。事前に曲についてよく知っていればもっと深く鑑賞できたのにと、少し残念だった。また是非機会があれば聴いてみたいと思わせる演奏でした。


浄瑠璃「卅三間堂棟由来」豊竹嶋大夫

「卅三間堂棟由来」の音楽的な楽しさのひとつは、曲の形式が、A - A' - B - B'という形になっていて、お柳が一度姿を消すまでの「A」と、再度現れてまた姿を消す「A'」、木遣音頭の「B」と木遣音頭の旋律に乗せて歌う平太郎の鎮魂歌「B'」の部分の対比の面白さにあると思う。今回は時間的な都合からか、お柳が一度姿を消してまた現れるという部分が省略されていて、残念ながらA、A'に当たる部分の対比がなかったけれども、その分、時間的余裕をもって、たっぷりと演奏されていたよう。

「卅三間堂棟由来」という曲は、嶋師匠が16才で若大夫師に入門して最初に習った曲だとか。入門する時は、角力文楽かというくらい修行が厳しいことが知られていたので家族は大反対だったが、それを押してお母様と大阪に来られたそう。

2ヶ月程習うと若大夫師は、巡業中にもかかわらず、嶋師匠にお母様を巡業先に呼ぶように言われたという。それで島師匠のお母様が巡業先のお宿まで来ると、若大夫師は嶋師匠に「柳」を語るよう言われたとか。お母様は一曲の間中、泣き通しだったのだそう。そしてお母様は嶋師匠の文楽入門を許されたのでした。

若大夫師がどう思われて「柳」を選んだかは分からないけど、お柳に自分を重ねて聴いた嶋師匠のお母様の気持ちは痛いほど分かる気がする。「卅三間堂棟由来」の中のお柳は、いついつまでも平太郎やみどり丸と一緒に暮らしたかったに違いない。けれども、よしない別れの時が来て、まだ幼いみどり丸を残して去っていかなければならなかった。嶋師匠のお母様も、まだ幼いと思っていた嶋師匠と別れの時が来てしまって、離れがたいという気持ちと同時に、立派に「柳」を語る嶋師匠に、別れの時が来たことを認めざるを得ない気持ちだったのではないだろうか。

今回の「卅三間堂棟由来」は、そんなお話を聞いた後だったので、途中から嶋師匠のお母様の気持ちが思い遣られて、ひときわ心に残る演奏でした。


終演後の外は、いつのまにか暗闇。清々しい風を受けて、楽しい気持ちで帰途につきました。