国立能楽堂 2月普及公演 呂蓮 葵上

月間特集が「近代絵画と能」というもので、この日は植村松園の「焔(ほのお)」と金剛流の「葵上」の組み合わせ。国文学研究資料館教授の小林健二先生の解説。


小林先生が紹介した松園の「焔」制作エピソードが興味深かった。松園はそのエッセイ『青眉抄』の「作画について」という文章の中で、「焔」に関して、「数多ある絵のうち、たった一枚の壮絶な絵」と述べている。彼女は「焔」作画当時のことを後から振り返り、それが、芸術上のスランプに陥っていた時に「どうにものりきれない苦しみ」をぶつけた一枚だったのだろうと分析している。


私が松園のこの絵を初めて観たのは、源氏物語二千年紀で横浜美術館源氏物語関連の美術を一堂に会した展覧会があったときだった。ほかの絵は王朝文化の影響を色濃く受けた上品な絵だったり、源氏物語に関する難解な注釈に関する本だったり、あるいは偐紫田舎源氏のようなパロディだったりするのに、この「焔」のみ凄味のある絵で強い印象を受けた覚えがある。同じ六条御息所でも「野宮」のように静謐な空気を感じさせる曲もあるのに、なぜ「葵上」を題材に選び、そこまでの激しさを持つ絵を描いたのだろうと、いつもこの絵を観るたびに思っていたのだが、松園は「葵上」を起爆剤として芸術上のスランプから抜け出たのだった。


また同じ「作画について」の中に、題名に関するエピソードもあり、これも興味深い内容だ。制作中、松園は絵のタイトルを「生き霊」としようとしていたが、当時、謡曲を習っていた松園は師の金剛厳に相談したところ、「いっそ焔にすれば」というアドバイスがあって、「焔」になったのだそう。お能の「葵上」には、クライマックスに「瞋恚(しんに)の焔(ほむら)」という詞があり、お能の好きな人ならそのフレーズを印象深く覚えているだろうし、あの絵と「焔」という言葉は響き合って、様々なイメージ ―― 例えば、怒りの焔、命の焔、暗闇といったイメージを私の心に呼び起こす。「焔」という題名もこの絵の価値を高めていると思う。


小林先生は「青眉抄」の「簡潔の美」という文章も紹介されたが、それには金剛厳がこの絵に関してした、もう一つのアドバイスのことが記載されている。そのアドバイスとは、六条御息所の目に金泥を入れて泥眼にすることだった。松園が嫉妬の女の美しさを出すことの難しさを漏らしたところ、金剛厳は「能の嫉妬の美人の顔は眼の白眼の所に特に金泥を入れている。これを泥眼と言っているが、金が光る度に異様なかがやき、閃きがある。また涙が溜まっている表情にも見える」と話したという。こうして、六条御息所の怒りとも悲しみとも知れない、複雑な表情に、より磨きがかかったのだった。


小林先生の解説からは離れるが、私自身にとって松園のお能を題材とした絵で印象深いものと言えばもうひとつあり、それは「花筺」から題材をとった「花がたみ」だ。お能の「花筺」は継体天皇皇位を継ぐ前に越前国にいた時に寵愛していた照日前が、もう一度天皇に逢うために、天皇を追って行ったところ、天皇から狂い舞をせよとの宣旨を受け、狂い舞をし、天皇に再度召し抱えられるという内容だ。このお能も、何故天皇は照日前を再度召し抱えることにしたのか、これは結局のところハッピーエンドと考えていいのか、観る者にとってなかなか咀嚼しにくい物語だ。松園の「花がたみ」の絵の方も、照日前の狂人ぶりが痛々しく、どうとらえて良いものか、複雑な気持ちになる絵だ。これに関しても「青眉抄」に、制作時に実際の狂人を知らなかったため、東京の松沢病院と同じくらい有名な京都の岩倉町の「狂人病院」に行き、狂人を観察したというエピソードが記載されていた。あの真に迫った「花がたみ」の絵は実際に精神疾患の患者さんを観て描いたものだったのだ。


私は以前は上村松園の絵はそれほど好きではなかったし、「青眉抄」もあまり面白く感じなかった。が、今は、松園の絵はゆかしく感じるし、「青眉抄」も改めて読んでみると何かしらノスタルジックで、一言一言、味わって読みたいような気持ちにさせられる。絵も本も変わるわけではないので、私の方が変わったのだ、きっと。人間というのは面白いとつくづく思う。


葵上 梓之出 無明之祈 今井 清隆

冒頭、病床の葵上を象徴する小袖が舞台の正先に置かれるが、白い小袖だった。以前観たことがあるのは、紅の小袖だった。紅の小袖は若い女性を象徴しているのだろうが、白の小袖はなんだろう。病床の身ということだろうか。


今回は「梓之出」の小書がついているので、六条御息所の生霊が出てくる時、祝詞の時に演奏される小鼓と大鼓の特徴的なリズムが奏されて葵上が出てくる。この小書の出だと、不気味でおどろおどろしい感じ。


また、もう一つの小書「無明之祈」は金剛流の小書のようで、シテが中入りした後、般若の面をした後シテとして登場する。後シテは前シテの時に壺折にしていたオレンジ色に近い紅の唐織を頭に被き、その下に白地に鱗紋の摺箔に赤の長袴という出で立ち。後シテの六条御息所が葵上に見立てた白い小袖を持ち去ろうとする様子は、まるで葵上の命を奪おうとするかのように見える。しかし、ワキの横川の小聖(福王和幸師)は小袖を取り返し、再度正先に広げ直して、小袖に向かって刺高(いらたか)の数珠を押し揉み、祈祷をする。その祈祷を受け、シテは橋掛リを後退し幕の方まで行くのだが、やがて勢いを取り戻して、ワキの小聖に攻撃をしかける。六条御息所と小聖と戦いはすさまじく、かつ、シテがあまりに強そうなので、今回はワキが負けてしまうのではないかと思ったが(?)、何とか小聖の必死の祈祷により悪霊に打ち勝ち、六条御息所はもう来ないことを約束して去っていく。


今回、松園の「焔」を観た後に鑑賞した「葵上」で、印象的だったのは今井清隆師の「葵上」に出てくる六条御息所は、女性らしさはあまり感じさせず、鬼の能であることが強調されていた点。松園の六条御息所の顔立ちは「葵上」の前ジテの泥眼の面のようでもあり、後ジテの般若のようでもあり、両方の表情を持つ、えもいわれぬ表情。そう考えればお能の影響は色濃く出ているけれども、松園の描いたか細くしなやかな線や黒髪に籠もる深い情念は、女性である松園ならばこその表現ではないかと思う。


「近代の画家が能や古典文学に着想を得て描いた名画のイメージを逆に補助線として」作品を鑑賞しようという月間特集の試み、新鮮で面白い視点で想像を広げることが出来ました。。