国立能楽堂 2月企画公演 蝋燭の灯りによる 謡講 八島


おはなし 庶民のたのしみー謡講ー


謡講は今回で3回目とか。いつもどんなものか観てみたいと思っていたが、そもそもチケット発売日にチケットを買えなかったりして、今まで観たことがなかった。実は今回も買えなかったが未練がましくチケットが戻っていないかチェックしていたら、偶然戻っているのを見つけて、無事、チケットを入手できた。

最初は井上裕久師の解説から始まった。

謡講は、もともと京の都で発達したのだそう。この謡講を取り仕切っている家が京観世の五軒家と呼ばれる家であり、井上裕之師の家は薗家という家の弟子筋に当たるのだそう。五軒家はそれぞれに初番から五番まで担当があり、薗家は四番目物を担当されていたというお話だったような。また、鶴屋吉信のお菓子「京観世」は江戸に移る前の京の観世流宗家の家(大宮通今出川)の井戸がいつも渦を巻いていたから、あのぐるぐる渦巻なのだとか。ということは観世水の文様のぐるぐる巻も、宗家の家の井戸からの意匠なのだろう。観世水の意匠は水面に数多のぐるぐる巻が浮かんでいるものをみることがあり、なんとなく鴨川の水の流れか何かかしら…と思っていた。このお話を聴いたら無性に京観世が食べたくなってしまった。次回鶴屋吉信に行った時には絶対に買ってしまうと思う。


話を謡講に戻すと、謡講は夜に開かれ、謡っている人が誰だか分からないよう、御簾や衝立の内で謡ったらしい。会の規則は厳しく、月に1回の会を無断で休んだ科で破門になった例もあるのだとか。


夜に行うため、謡が終わって今なら拍手するタイミングでも、近所迷惑を考え、小さな声で「よっ」と声をかけるだけなのだそう。そういえば、以前、観世流のご宗家も、古老に聞いた話として、明治ぐらいの頃は拍手の代わりに「よし!」という声がかかっていたとおっしゃっていたような記憶がある。よく昔は拍手はしなかったとかいうけれども、やはり素晴らしいパフォーマンスを目撃した観客がそれを演者に伝えたいと思うのは、いつの時代も同じなんだなあと思う。もちろん演目によりけりで非常に重いテーマのお能だったりすると、とうてい拍手する気にはなれないけど…。


盛久 二段下り


京観世は独自の謡(節付?)を発展させたそうで、この「盛久 二段下り」も、京観世のものなのだそう。その昔、観世左近が全国の謡を統一するために大成本を発刊する際、井上裕之師のお祖父様もその趣旨に賛同し、京観世独自の謡はその後一切謡わなかったのだそう。裕之師のお父様も謡わなかったそうだが、裕之師がお能離れの昨今の状況を鑑み相談したところ、お父様は「自分は父(裕之師のお祖父様)から謡うなと厳しく言われたから謡わなかったが、裕之師は言われていないのだから自分でよく考えてみればよい」ということを言われたとか。それで観世流ご宗家の許しを得て、現在は京観世の節付も紹介されているのだとか。

今回は違いが分かるよう、普通の節付と京観世の節付の両方が謡われた。事前の簡単な解説で、シテのサシからクセのアゲハの部分までを「通常、弱吟のところを強吟で謡い…」などという話を聞いていた時は、「観世流と梅若流との差ぐらいの違いかな?」と思っていたが、実際に聴いてみると、そんな生やさしい違いではなかった。全然別物といっていいくらい、印象が違う。京観世の「盛久」は、ゆったりとビブラートを効かせ、声明のように謳いあげる印象。観世鐵之丞師の謡を思い出させる。しんと静まった夜、蝋燭や行燈の、ほの暗い灯りの下で謡われるに相応しい謡。清少納言の『枕草子』には声の美しい僧の読経を褒めた文章があったが、こういうのが京の都人の好みなのかも。観世流宗家筋の謡は武士の式楽として武士の好みに適応していったのだろうが、それとは異なる道を歩んだのも分かる気がする。


五目謡


「五味(ごみ)謡」とも言うとおっしゃっていたような。五目謡では謡でしりとりをする。昔は皆、子供の頃から寺子屋などで謡を習っていたので謡をよく知っていて、五目謡のみならず、謡を題材としたいろいろな遊びがあったそう。たとえば、替え謡や、謡の詞章の中の「の」「む」「か」を謡ってはいけず、間違って謡ってしまったらお酒を飲まないといけないとか、飲みたい人は逆にわざと間違えるとか…。もちろん、五目謡も詰まると罰ゲームでお酒を飲まされるのだそう。

実際に五目謡の実演があったが、残念ながら私レベルでは、いただいた資料を見ないとどこでどの曲に変わったかは分からず。でもこんな風にたくさん謡曲を(印象的なフレーズを断片的にではなく、ちゃんと最初から最後まで!)覚えていてこと出来たら本当に楽しいだろう。以前、松岡心平先生が謡に関して「Liberal Artsとして大学の一般教養でやった方がよい」とおっしゃっていたけれども、本当に、大学といわず、子供の時からでもやればいいと思う。


八島 弓流 那須与一語 喜多流 香川 靖嗣


久々に香川靖嗣師のお能を観た。さすが切れ味鋭く、颯爽とした義経でした。蝋燭の灯りの中で見て改めて納得したのですが、このお話は日が暮れてから明け方までのお話で、蝋燭の灯りで演じられるお能に相応しい曲なのでした。


冒頭、松田弘之師の音が響くと、いつもの現実から切り離されたお能の世界に連れて行かれる。幕が開き、ワキの宝生欣哉師とワキツレが本舞台に入って宿探しをしようという。すると、松田弘之師の一声の笛と共に、直面のツレと三光尉の漁翁として出てくる。ツレは釣り竿肩にかかげ、漁翁は杖のように手に持って本舞台に入ってくる。その型だけでも青年と老人という感じで、小道具の持ち方一つとっても考えられているんだなと関心してしまう。とはいえ、前シテの漁翁が若くして亡くなった義経の霊というのも考えてみれば変な感じだけど、ツレも結局、誰なのかわからない。前場は謎な設定だ。


狂言三宅右近師による那須与一語。那須与一語はモノローグではあるけれども、複数の登場人物を語り分ける。そのとき、落語のように座っている位置は変えず首の向きを変えることによって人物を変えるのではなく、狂言では座っている位置そのものを変えて人物を変えていく。だからとても大変そう。最初はずいぶんとゆっくりとした語り口で始まったように感じ、何故かと思ったが、なるほど運動量がむちゃくちゃ多そうで、さすが右近師も息が上がっていて、大変そうだった。以前、野村万作師で観たときもやはり息が上がっていたみたいだけど、台詞そのものはスピード感のある鮮やかな語り分けで、身のこなしも軽やかだった。それがどれほどすごいことだったのか、今更ながら分かった。


後場は小書の弓流。義経が床几から立って扇を持ち替え再度、床几に座るというものらしいが、観ててもいまいち分かったような分からなかったような感じ。

義経は平太の面で紺地に金の立涌的な文様の法被に紅に金襴の半切。蝋燭の光を受けて、暗い舞台の中、装束の金襴のみが華やかに輝き、常に増して幻想的に見える。実はパンフレットと国立能楽堂の展示室に松岡映丘の「屋島義経」があるのだが、それを見てからお能を見ることで、今更ながら、お能義経は全然、詞章にある「赤地の錦の直垂に、紫裾濃の御着背長」でないことに気がついた。舞台上の嘘の魔法にかかって、後シテの装束は本当の戦の装束とは違う中世的美意識に則った装束になっていることに気がつかなかった。

そして、蝋燭の灯りの中、まぼろしが消えるようにシテは幕の中に去って行った。蝋燭能。いいです。