私だけの幻の九段目

仮名手本忠臣蔵の九段目の山科閑居は、難曲で、特別なものとされ、葵大夫のホームページ(こちら)によれば、「おこがましくも相勤め」と挨拶を入れることが習慣となっている由。観客にも緊張感を強いられる段で、色々と逸話の多い段である。

で、ふと畏れ多い、恐ろしいことを思いついたのだが、九段目のパロディを作ったら、さぞ面白いのではないだろうか。戸無瀬とお石の問答とか、小浪が自害しようとうするところとか、加古川本蔵の虚無僧姿での出とか、由良之助が奥庭の雪で作った墓を見せるところとか、力弥が竹を使って雨戸をはずすところとか、色々、パロディ化しがいがありそうな場面が多い気がするのである。で、これは、もちろんチャリにはうってつけの文楽か、さもなくば、歌舞伎俳優の幹部クラスが、大真面目にやるのである。

絶対に面白い気がして、どうしても観てみたいのであるが、もし、観て面白かったら、恐らく、その後は本物の九段目は観れなくなるのが残念だ。なぜなら、あの観客でさえ物音一つ立てず息をひそめて観なければならない九段目で、もしふとパロディの方を思い出して噴き出してしまったら最悪の事態を招くからだ。そうでなくとも、笑いをこらえているだけで、呼吸困難に陥ってしまうかもしれない。先日も、お能を観ていて「僧にて候」というのが何故かその日はおやじギャグに聞こえて妙にツボに入ってしまい、必死で笑いをこらえて死ぬかと思った。

そういう訳で、このパロディは、作品化を願う事ばかりか、妄想をすることさえ、私にとっては危険な行為なのだ。だから私の幻の九段目なのである。