東二口文弥人形 出世景清

日 時: 2012 年11 月10日(土)18:00
会 場:アサヒアートスクエア ホール アクセスはこちら
     (墨田区吾妻橋1-23-1 スーパードライホール4F)
料 金: 一般・前売3300円 当日3800円/ 学生・前売2800円 当日3300円
    (全席自由)
出 演:東二口文弥人形浄瑠璃保存会
演 目:「三番叟」「出世景清」「華ほめ」
http://www.puppet.or.jp/puppetArchives/entryarchive/post_125.html

前週、レクチャー&デモンストレーションを見て、翌週は、近松門左衛門の『出世景清』を拝見しました。本当は翌日に、同じく近松の『大織冠』の公演があり、こちらも非常に観たかったのですが、その日はちょうど大阪の文楽劇場で『忠臣蔵』の通しを観ることになっていたので、観ることが出来ず、とても残念でした。


『出世景清』は、近松の初期の作品。『日本古典文学大系50 近松浄瑠璃集 下』の作品解題によれば、「竹本義太夫のために書き下ろした最初の作品とされ、普通これより前は古浄瑠璃と呼んで区別する。正に画期的な作品だった。」とのこと。近松34才より前の作であることは確かだという。

主人公は、景清で、お能の「大仏供養」や「景清」、「盛久」と、古浄瑠璃幸若舞の「景清」を元にした筋立てとなっている。興味深いのは、阿古屋が景清のことを六波羅へ訴人することになった顛末。先行作の幸若舞の「景清」では二人の息子の立身出世の足がかりとするため、景清の居場所を六波羅に申し出る。一方、『出世景清』では、阿古屋は兄の十蔵に景清を訴人するよう説得されるが、最初は、阿古屋は拒絶する。しかし、折りも折り、後に妻となった熱田の大宮司の娘、阿古屋のところに小野の姫から景清宛の恋文が届き、嫉妬に駆られた阿古屋は、一時の気の迷いから、兄に景清を訴人し恨みを晴らしてくれと訴える。嫉妬と景清への想いの間で悶え苦しむものの、その後は景清への想いを貫き通して、景清の疑いを解くために自害までする阿古屋像は、『壇浦兜軍記』をはじめとする後の作品に影響を与えているようだ。

また、熱田の大宮司の娘、小野の姫という女性を大きく取り上げていることも、興味深い。小野の姫は、まっすぐな気性の世にもまれな貞女として描かれている。景清を慕って京まで一人訪ね歩き、景清の在処を知る可能性のある者として捕らえられ、読むに耐えない拷問を受けるものの頑として堪え忍ぶ。結局、景清は、拷問に耐える小野の姫の姿を見るに耐えず、自ら名乗り出て牢に入ることになる。おそらく、阿古屋の悪妻という側面を際だたせるために、小野の姫のような人物が出てくるのだと思うが、悪妻を描くに当たって、阿古屋の苦悩に踏み込んで、共感できる人物像を作ってしまうところが、近松の創意の類まれなところだ。東二口の文弥人形では、阿古屋の役には、『源氏烏帽子折』の常盤御前、『大織冠』の海女と同じ人形を使用するのだそう。男まさりで気が強く、自分が大切に想う人の為には自分を犠牲にすることも厭わないという人物像が共通する、魅力的な人形だと思う。


『出世景清』

最初に、三番叟が演じられる。三番叟は一部に笛が入るものの、主に語りで謡のように語られる。また、力強い足拍子が多く入るのが印象的。舞台からは人形が直接見えない場面でも、独特の決まったステップの踏み方があるようで、おもしろかった。三番叟の見た目は、文楽の三番叟と似ている。ほかに黒い尉が出てくるが、これは、口上人形。

それから坊主頭でチャイナ服のような中国風の衣装をつけた口上人形が、右手に持った閉じた扇を振り回しながら今回の公演の演目等についての口上を述べる。

今回、演じられる『出世景清』自体は、全段を通すと5〜6時間かかるそうで、今回の公演では、第二段の阿古屋が訴人するに至る場面と、第四段の阿古屋が牢に入った景清に自分や子供達の景清に対する一途な想いを証すため自害する場面が演じられた。

語りは、文弥節という名がついており、写実的な語り分けというよりは、お能の謡と義太夫の中間のような感じ。景清は、苦み走った癖のある、翌日に観た『忠臣蔵』の高師直のような語り口で語られ、阿古屋の語りは、優しく哀愁を帯びた旋律がついている。三味線の合いの手や人形を廻す人々の力強い足拍子も交じり、素朴な語りとは裏腹に、全体的には大きなうねりを持つ躍動的な音曲となっていて、語られている物語の世界に、知らず知らずと魅了されてしまう。

人形は、基本的に、舞台の上手(かみて)側に向かって「三歩前進二歩後退」というのを繰り返していて、語りに合わせながら、揺れるように舞う。構造がシンプルなので、シンプルな動きしか出来ないのだが、人形の首の面立ちが素晴らしく、舞も心情に合わせて舞われるので、阿古屋はまるで文楽の簑助師匠が、景清はまるで勘十郎さんが、牢の景清に泣いてすがる次男の弥若はまるで簑紫郎さんが遣っているかと思うような、いきいきとした表情を見せる。

また面白かったのは、阿古屋とその子供達が自害した後に、阿古屋の兄、十蔵が牢に入った景清を見に来るのだが、そこで十蔵とその取り巻き連中と景清の間で喧嘩が起こる。そのとき、人形廻しの人たちが七、八人で、雄叫びをあげながら、四畳半ぐらいしかない舞台を所狭しと刀を振り回して大暴れする。この場面は足拍子も盛大に入って、とにかく楽しい。金比羅浄瑠璃の絵尽くしを見たことがあるが、大体、大暴れの図がある。きっと、こんな風に楽しく、眼目になるほどの場面だったのだろう。

ちなみに今回は演じられなかったが、第五段に『出世景清』の題名の由来となる場面がある。頼朝は、景清を斬首の刑に処すことにするが、景清の首を切ったそのとき、その首は清水寺の千手観音の首と変じる。この奇跡を見た頼朝は大いに感じ入り、景清を助けおき、日向の国、宮崎の庄をあてがうこととする。恩を受けた景清は、助けられたことが仇とならぬよう、両眼を抉り出し頼朝に献上する。このことが「出世」と外題に付く由来のようだ。

今の人間からすると、そんな変節をしていいの?景清さん!!と言いたくなるが、江戸時代初期のこの頃には、源氏=本流=善というような、近松でさえ疑問を挟まないような、覆し難い価値観があったのかも。

公演では、『出世景清』の後、如何にも狂言廻しというような人形が出てきて、太夫ではなく人形廻し自ら「華ぼめ」という口上を述べる。その「華ぼめ人形」が一風変わっていて、吉田戦車という人が描いたのではないかと思いたくなるような面立ちの、不格好なほど大きな頭に豆絞りの手ぬぐいで頬被りをした、おじさんの人形なのだ。今回は、「川尽くし」と呼ばれる口上で、加茂川やら大井川やら淀川やら、果ては会場のすぐそばを流れる隅田川などの川を引き合いに出しながら、観てくれた観客を誉めるというもの。

観客を誉めるという発想も面白い。過去、文弥人形の人形芝居を支えてきた人たちが、文弥人形をとても愛していたからこそ、見に来てくれた人を誉めたいという思いで、このような口上が出来あがったのではないだろうか。それほどこの村の人たちが文弥人形を愛していたからこそ、三百年以上も伝承が途切れなかったのだと思う。

今、文弥人形を支える人々は12人しかいらっしゃらないそうで、それらの方々は文楽とは違い仕事の合間に上演をされているそうだ。そのため、文楽のようなプロフェッショナルの技芸員が演じる、高度な技術と洗練された演出を持つ芸能とは直接比較するような種類のものではない。けれども、保存会の人々の、素朴でありながら魅力的な文弥人形への愛と、将来にも何としても伝えていきたいという熱い思いが伝わる、それゆえに心動かされる、とても素敵な公演でした。本当に、機会があれば何としても、もう一度観たい。


というわけで、この江戸時代初期の人形浄瑠璃の形を色濃く残す文弥人形で、古浄瑠璃のしっぽを持つ『出世景清』の公演を観た翌日に、大阪の文楽劇場で、人形浄瑠璃の最盛期に成立した最高峰の作品、『仮名手本忠臣蔵』を通しで観るという巡り合わせになった。私は、『忠臣蔵』のあまりにスペクタクルな演出と複雑な物語世界、それを演じる技芸員の人達のプロの技に、まるでタイムマシンで未来の世界に連れて行かれた人のように、客席で、ただただ圧倒されてしまうことになるのでした。


<配役>

大夫: 土井下和絵
三味線: 山口栄一
太鼓: 山内晴夫
主な人形:
景清(忠孝武士[兄弟でく]): 道下甚一
阿古屋(女形[常盤でく]): 土井下恒史
伊庭十臓(悪形[弾正でく]): 北出昭夫
小野姫(女形[赤目でく]): 村田卓哉
弥石(一般武者[役でく]): 山口久仁
弥若(子ども): 村田卓哉
飛脚: 土井下甚太郎
常陸永範: 山口久仁
江間小四郎: 村田卓哉
江間の下人二三太: 山口一男