国立能楽堂 定例公演  鴈礫 龍田

狂言 鴈礫(がんつぶて) 茂山千之丞大蔵流
能  龍田(たつた)移神楽(うつりかぐら) 大江又三郎(観世流
http://www.ntj.jac.go.jp/performance/2495.html

まだまだ紅葉の季節には早いけど、お能の「龍田」で一足早く秋を満喫しました。


狂言 鴈礫 茂山千之丞

大名(茂山千之丞師)が山で鴈を見つける。グリーン上であと一打でカップに入れようともくろむゴルファーよろしく、弓を構えながら立ち位置を模索している間に、使いの者(茂山あきら師)が石を投げてさっさと鴈をしとめてしまう。大名は怒り、鴈を返すようにいう。使いのものは当然譲らない。そこに仲裁人(善竹十郎師)が現れ、仲介の末、ある解決策を思いつく…とうお話。


鴈は烏帽子を鴈に見立てていた。千之丞師の大名は最初の弓を射ようとする様子は、おとぼけでかわいい。後半、様々な理由にならない理由を付けて、使いの者の鴈を自分のものにしようとする様子は滑稽だけれども、日常でもそんな風に理屈にならない理屈をつけて自分に都合の良いようにことを運ぼうとする人は、いくらでも見かける。そして、そんな人も一辺倒に悪い人と断じないで、誰でもそういうことをしてしまうことがあると思わせるような、人間らしい姿として描写するのが狂言の良いところだ。


能 龍田 移神楽 大江又三郎(観世流

南都(奈良)の霊仏霊社を残りなく拝み回ったワキの聖(村田純師)達は、今度は河内の龍田明神を訪れた。早速、龍田川を渡ろうとすると、揚幕の奥から「その川な渡り給ひそ、申すべきことの候」と呼び止める声がする。不審に思って声のする方をみると、増の面、白の壺折に薄茶と金の段替の唐織の神巫(かんなぎ)(大江又三郎師)が榊に幣(白い鉢巻のようなもの)を付けたものを持って現れた。

神巫は、「龍田川紅葉乱れて流るめり渡らば錦中や絶えなん」という「古今和歌集」」にある奈良の帝の御製という歌と、藤原家隆の「龍田川紅葉を閉づる薄氷渡らじそれも中や絶えなむ」(壬二集)を引き、川を渡ることは神慮に背くことになるという。そして、自ら道案内をすることを申し出る。聖達は喜び、神巫に連れられて龍田明神を詣でる。
私は家隆の「紅葉を閉づる薄氷」という歌は好きなので、このお能の作者の金春禅竹が採用していて、ちょっとうれしい。家隆は、きらきらした光を感じる歌を他にもいくつか作っていて、百人一首の「風そよぐならの小川の夕暮れは 御禊ぞ夏のしるしなりけり」とか「有明の月待つやどの袖のうへに 人だのめなる宵のいなづま」(新古今和歌集 秋上)等、どれも好きだ。

さらに旧暦十一月(霜降月)なのに盛りの紅葉の神木をみたり、宮巡りをしていると、シテが「龍田姫はわれなり」と言い残して社壇の扉を押し開けると、作り物の宮の中に入っていった。


狂言では、里人(善竹富太郎師)が現れ、聖が龍田明神の御由緒を尋ねると、「これは思ひもよらぬ御仰せかな」的なことを言うのがちょっと変わってる。だって、神社仏閣の御由緒というのは、観光客がその場で地元の人を見かけた時にする質問の筆頭ではないでしょーか?とはいえ、これは多分、間狂言のパターンに載せただけのことだろうからしかたあるまい。定石通りに、「詳しくは存知候はねども、御仰せなれば物語申し候」的な言い訳をしてから、いろいろと興味深いことを語っていた。

まずはイザナギイザナミの国産みの話から始まって、龍田明神の使わしめが鶏なのは衆生の本覚を促すためであること、宝山(葛城山)にある逆矛は先が八手に分かれており、それが紅葉の神木のいわれである云々。また、紅葉が流れる龍田川を渡って紅葉が衣の裾についてしまうのを神が悲しむため、龍田川を渡ることは神慮に背くことなのだという。その場でメモしたことを数日後に書き起こしているので間違いがあるかもしれないが。


実はこのような問答の最中に、作り物の宮の中では、装束替えが行われていたのでした。もちろん装束替えそのものは見えないけれども、私の席からは後見の観世恭秀師が手際よく作業をしている様子が見え、感心してしまいました。私ならあんな狭いところで他人の装束を替えるなんて、半日かかったって絶対に出来ないだろう。


というわけで後場になるのだが、最初はシテは声だけで宮からは出てこない。なんでかなーと思っていると、丁度、地謡の「和光同塵 自づから 光もあけの 玉垣輝きて あらたに御神体現はれたり」というところで、引き回しの幕が降ろされて、龍田姫が出てくるのでした。カッコいい!後シテの装束は、天冠のてっぺんに紅葉を付けて、紅地に金の格子文様に紅葉か何かを散らした舞衣(だったかな?)に、紫地の半切は下部に金の立浪、その上に紅葉の文様。中啓も多分紅葉の文様で、全身紅葉尽くし、という感じの龍田明神でした。さらには、袖を被づいた時に見えた舞衣の下の縫箔の袖にも紅葉の刺繍を発見!一見、ストイックな能の精神から反しそうだけど、なんせ龍田姫は秋の神だし、紅葉は過剰であってもますます美しくなるばかりだし、これでいいのでしょう。


その後、夜神楽の場面となる。シテが「謹上」、地謡が「再拝」と謡うと神楽となって、笛が神楽に似た(「石橋」の獅子の舞の部分のような)メロディになって龍田明神は舞を舞うのだった。これがどうも「移神楽」の小書のよう。パンフレットの村上湛氏の解説によれば、「昭和五十一年に観世寿夫らによって復興された観世流独自の演出で、後半[中ノ舞]に転ずるところ、そうせず、また冒頭の序を七ツに延ばして、全体に荘重さを増す工夫が見られます」とのこと。確かに中ノ舞などより長めだったかも。


最後は「神風松風 吹き乱れ もみぢ葉散り飛ぶ 木綿付け鳥の 御禊も幣も ひるがへる小忌衣」となり、祈りの中、「神は上がらせ給ひけり」と、去っていった。


思ったよりずっと素敵なお能で、楽しく見終わったのでした。ああ、私も風にもみぢ葉が乱れ散るような所に行って、その中に立ち尽くしてみたい。。。