国立能楽堂 特別公演 船弁慶

国立能楽堂 特別公演  咲嘩 船弁慶
仕舞 綾鼓(あやのつづみ) 近藤乾之助(宝生流
狂言 咲嘩(さっか) 野村萬和泉流
能  船弁慶(ふなべんけい)重前後之替・早装束(おもきぜんごのかえ・はやしょうぞく) 観世銕之丞観世流
http://www.ntj.jac.go.jp/performance/2509.html

年末最後の能楽鑑賞だったが、とてもおもしろかった。


仕舞 綾鼓(あやのつづみ) 近藤乾之助(宝生流

10月に国立能楽堂の普及公演で松野恭憲師(金剛流)の「綾鼓」を観たが、その仕舞バージョン。一番最後の「冥途のぜつき阿房羅刹(あほうらせつ)」から最後の「恋の淵にぞ入りにける」まで。

仁王立ちになって怒りを示すのは同じなのだけど、あまりに恭憲師の舞と乾之助師の舞の印象が違うので、同じ「綾鼓」とパンフレットに書いてなければ、気が付かなかったかも。恭憲師の舞は、怒り心頭、炎メラメラという感じだったが、乾之助師の舞は、悲しい怒りだったのでした。


狂言 咲嘩(さっか) 野村萬和泉流

主人(野村扇丞師)は、連歌の初心講(初心者の集まり)の当番となったため、連歌の心得のある都の伯父の指導を仰ぐべく、太郎冠者(野村萬師)に伯父を連れてくるよう言いつける。二つ返事で請け負った太郎冠者だが、ふと気が付けば太郎冠者は伯父の顔も居場所も知らない。物売りを見て大声で呼ばわることを思いついた太郎冠者は「田舎に甥のいる方はおりませぬか?」等と呼ばわっていると、伯父と名乗る咲嘩(すっぱ、盗人)が現れ…というお話。

主人と太郎冠者が咲嘩の顔をそっと確認しにいく時、扇の骨の間から咲嘩を垣間見る仕草をするのが面白い。以前読んだ、網野善彦氏の「異形の王権」に、扇で顔を隠しながら見るという行為は、見る人を「人ならぬ存在」に変える行為で室町時代以降、次第に行われなくなった、ということが書いてあった。この狂言はその仕草が日常に生きていた時代に作られたものなのだろう。
萬師演じる太郎冠者のぼけっぷりが楽しかった。


能  船弁慶(ふなべんけい)重前後之替・早装束(おもきぜんごのかえ・はやしょうぞく) 観世銕之丞観世流

舞が面白くて、大満足でした。先日、横浜能楽堂で同じ観世流梅若万三郎師の船弁慶を観たばかりなので、違いが分かり、その点もなかなか興味深かった。


頃は文治の初め、義経一行は大物浦に着くと西国行きの船に乗ろうとするが、その際、静は同道しない方が良いという弁慶の進言により、義経は静を同道しないこととする。そのことを弁慶が静に伝えるが、静は本当に義経の意志から出た言葉なのか、義経の口から直接聞きたいと申し出る。義経は静に直接、都で時節を待つように言い、静は都に戻ることに同意するのだった。

静が義経とここで別れることとなると、義経は静に舞を所望する。静は一差し舞を舞うことになる。この際、船路の門出の歌としてまず詠うのが、「渡口(とこう)の郵船は風静まつて出づ 波頭の謫処(てきしょ)は日晴れて見ゆ」という「和漢朗詠週集」行旅にある漢詩を吟ずる。この詩は小野篁隠岐に配流された後、召し返された時のものだ。静はいつも当意即妙の詩歌を詠うことができる。きっと白拍子として詩歌にかなり通じていたのだろう。

そして今回の静の舞は、小書「重前後之替(おもぜんごのかえ)」となっているため、「前シテは[中ノ舞]から[序ノ舞]になり、後シテも流レ足など入り変化に富んだ演出となります」とのこと。パンフレットの金子直樹氏によればシテ方観世流の小書なのだそう。詞章を見ると「盤渉序ノ舞」となっているので、今回は「盤渉序ノ舞」になったということなのだろう。「盤渉序ノ舞」というのは、笛が盤渉調に転調して序ノ舞を演奏するという意味だと思うけど、どういう意味があるのだろう。

この盤渉序ノ舞が笛と静の舞が絶妙に合っていてとても面白かった。

最初、静は舞台中央で舞を舞ているのだが、その後、橋掛リのところに行って義経を見やってシオリをして泣く。そして、舞台まで戻ると、今度は笛の旋律が転調して長調になり、静は気を取り直したように扇を使って舞う。しばらくするとまた笛は転調して元の短調の旋律となり、静は舞台の一番橋掛リに近い常座で中正方向を見て立ちすくむと、また笛の旋律は長調に転調し、静の舞が再び始まる。そして常座の辺りに戻ると、扇を短冊に見立てたのか、面の前に縦にかざして「ただ頼め、標芽(しめじ)が原の、さしも草」と清水寺の御詠歌を吟じ、義経のところに行き顔を見ると、「舟子ども、はやともづなをとくとくと」と橋掛リの方を向いて言い、再び静は義経の方を見る。すると、義経は立ち上がり、弁慶は立て膝を付いて黙礼をする。静は正面中央でがっくりと座り込むと烏帽子を落としたのだった(前方方向に落とそうとしたところ烏帽子の下部が面に引っかかって落ちなかったので、さりげなく左側に倒して烏帽子を取っていた。さすが!)。

このように、笛の旋律が長調短調に何度か転調し、静の心の揺れを表していて非常に興味深かった。
前回の万三郎師の時の舞は、大まかには覚えていたけれど、細かい部分はよく覚えていなかったのでどの程度違ったのか同じだったのかはよく分からない。もう少しちゃんと見ておけばよかった。

ちなみに、今回の静は面が小面。装束は、紅入唐織の着流という典型的な出立で、唐織は、色紙に藤、色紙に霞と小松、短冊に紅白の梅、葦、雁の文様。


この後の間狂言も興味深かった。

横浜の時の「舟弁慶」ではアイ(山本東次郎師)は船頭だったけど、今回のアイ(野村万蔵師)は、大物浦の宿屋の主人であり、かつ船頭なのだった。そうか、浄瑠璃&歌舞伎の「義経千本桜」の二段目の主人公、渡海屋銀平(実ハ平知盛)が回船問屋で宿屋でもあるというのは、この間狂言のアイの設定を引いたものだったのだ、きっと。今まで、「義経千本桜」の二段目を観る度に、「平知盛はいくらなんでも、回船問屋や宿屋の主人みたいな庶民的な立場に身をやつしたりしないよ!ま、かっこいいからいいけどさ」と思ってきたが、荒唐無稽な設定という訳ではなく、ちゃんとお能を踏まえた設定だったんだ。納得。

アイの宿の主人が、「静が可哀想だった」という独り言を言っていると、弁慶から船の用意は出来たかと尋ねられる。船頭は早速橋掛リをものすごいスピードで戻って幕の内に入り、さっと幕が閉まったかと思うと二、三秒ですぐ幕が上がり、装束が替わって、船を担いで、ものすごいスピードで出てきた(小書「早装束」)。これは、あまりに速くて本当にびっくりした。むしろ幕の外で装束替を見せてほしかったくらい。歌舞伎座だったら、盛大な拍手と大向こうの嵐が起こるところだった。それにしてもどうやってあんなに速く装束替を出来るのか不思議。確か前場は帆立船の文様の青い肩衣を着ていたのが、萌葱の法被と藁で出来た帽子に変わったので、その辺りの装束を替えて、船を担いだということなんだろうけど、とにかく速かった。

船の上では、アイは天気が良いことを喜び、の船頭が自分のかかえている訴訟の取りなしを弁慶に頼む。ここの部分は、前回の万三郎師の公演の東次郎師の間狂言では省略されていた。

しばらくすると、ワキツレが、この船には妖怪(あやかし)が乗っているという。船頭は縁起の悪いことをいうワキツレを咎め、弁慶は自分に免じて許してくれと言う。すると、突然、波が高くなって平家の一門の幽霊が海上に浮かび上がってくる。船頭はこの時、今まで船を漕いでいた楫(棹)で見所中をぐるっと指し示すので、たぶん、見所全体に平家の一門の幽霊がうようよで出てきたぐらいの勢いなのかも。こわ…。


ここからが後場で、太鼓(助川治師)が入る。幕が下三分の一ぐらい上がって、後シテの知盛の幽霊が幕の中に姿を見せる。まず自分は平知盛であると名乗ると、「あら珍しや、いかに義経」と言って義経をキッと見る。すぐに幕が閉じ、また幕が上がって、再度「また義経をも海に沈めんと、いふなみに浮かめる長刀取り直し」のところで、キッと義経を見て「巴波の紋 あたりを払ひ潮を蹴立て 悪風を吹き掛け眼もくらみ 心も乱れて前後を忘(ぼう)するばかりなり」の「心も乱れ」のところでくるっと回ると流レ足で橋掛リを進む。ここから知盛は槍で義経を刺そうとしては橋掛リに戻るというのを繰り返し、切り合いとなる。最後は、弁慶が数珠をさらさらと押し揉んで祈祷をすると、そのまま、引く潮に流れて跡しらなみとなったのでした。

後場のシテは、白地に金箔で碇の文様等をほどこした法被に、白の大口、摺箔は白に立湧、唐花の文様という、知盛にふさわしい装束なのでした。面は「似」と書いて、「あやかし」と読むのだとか。まさに舟弁慶の詞章通り。知盛のための面なのかも。

最後はスカッとする終わり方で、年を締めくくるに相応しい素敵なパフォーマンスでした。