松屋銀座 風姿花伝 観世宗家展

観阿弥誕生680年 世阿弥誕生650年
風姿花伝 観世宗家展
2012年12月27日(木)−2013年1月21日(月)
http://www.matsuya.com/m_ginza/exhib_gal/details/20121227_kanze.html

デパートの展覧会なのでそんなに期待していなかったけど、普段、観世文庫所蔵の品々をこれだけまとめて観る機会は、あまりなく、なかなか充実した展覧会でした。もう一回ぐらい行っちゃいそう。以下、備忘録。


赤地枝垂桜糸巻唐織

道成寺のシテの装束。観世流では道成寺は糸巻の文様のものを使うとか。

紅白黒紅段亀甲小菊間垣唐織

黒紅(くろべに)とは、焦げ茶という意味らしい。能装束では、女性の唐織に籬(まがき)に菊という文様をよく見るけれども、これは、鎌倉時代からの文様とのこと。

白地扇面小模様唐織

以前、観世清和師の「江口」を観たのだけど、その時の後シテの装束は、たぶんこれだったと思う。あまりに優雅で美しかったので、じっくり拝見してみたいと切望していたのだけど、まさかここで対面できるとは!遠目には、金箔が剥げて地色の白が出ているように見えた。しかし、実際に間近で確認してみると、確かに一部剥げているところがあるのだが、実は元々白地で雲立湧(端の雲のような形状に処理してある立湧)の中が金箔というもの。これに浮織で青の差し色の入った扇地紙と団扇が描かれている。これらの配色と色バランスが素晴らしいのだ。

不思議なのは、こうやって展示して並べてみると他の装束に比べて随分地味で詰まらない装束かのように見える。もし、展示物の中でどの装束が一番好きかと問われたら、この装束は選ばないと思う。けれども実際に舞台で観た装束としては、私の中ではトップ10に入るくらい優雅で、後シテの普賢菩薩のイメージにぴったりだった。

赤地扇面観世水文様縫箔

紅でなく「赤」という色名が珍しい。実際、能装束の紅入(いろいり)という時の紅とは違う色。印刷時の色指定でいうと、特色の金赤のようなビビッドな赤。あまり考えたことがなかったけど、歌舞伎とか文楽の「赤姫」の衣装はたぶん、この赤なんじゃないだろうか。

色味が鮮明な割に相当使い込まれているようで、いたるところにほつれがあり、また、それを繕った糸が見える。大事に使われているんだなあという感じ。

花色地金雲取稲穂群雀鳴子縫箔(はないろじきんくもとりいなほむらすずめなるこぬいはく)

花色とは薄い藍色のこと。標(はなだ)色とも。2009年10月に銕仙会の定期公演で大槻文蔵師が「鳥追舟」を演じられたけれども、その時の後シテの装束(水衣の下の縫箔)が、これにそっくりだった。

花色地菱蜻蛉単法被

子方の装束。「竹屋町」とよばれる紗地に金箔を糸状に裁断した糸で刺繍したものだそう。以前、「竹屋町」とは、古田織部がプロデュースしたものという解説を見たことがあった。

文様は二重の格子で縦長の菱形を作ったその中に蜻蛉の意匠。実は、この意匠は、展覧会の出口付近に展示されていた萌葱地菱蜻蛉法被(足利義政より拝領)と、ほぼ同じ。何か謂われがあるのかも。

紺地源氏車袷法被

「紺地」とあるが、実際に見てみると、紫色がかった濃い青色。紺のブレザーという言い方があるので、つい紺という色を混乱しがちなのだが、少なくとも観世文庫では、「紺」は紫色がかった濃い青色、「花色」というのは藍色のことを指しているようだ。

この装束の「紺」は、文楽でいえば、『菅原伝授手習鑑』の「丞相名残の段」で管丞相が着用している束帯の地色に似ている。「文楽の衣装」を見てみると、この衣装は、紫繻子朱袍下付金糸縫梅鉢文台付束帯(むらさきじゅすしゅほうしたつききんしぬいうめばちもんだいつきそくたい)というらしい。こっちは「紺」ではなく「紫」なのだ。

萌葱地菱蜻蛉単法被(もえぎじひしかげろうひとえはっぴ)

足利義政から拝領したという装束。「朝長」の懺法だけに着用されるとか。

面 いなのめ

前述の観世清和師の「江口」を観た時に、ツレが二人いてそのうちの一人は「しののめ」に似た銘の面をしていたと思ったんだけど、これと間違っていたか…?もう一人のツレは「「棹さし」という面で、中年の女性風の面だった。

面 俊寛

上の歯に金泥が塗られていないということは、まだ死んでいなくて生きている印なんだそう。

面 泥眼

泥眼の白目は金色だけれど、これは、うずくまっていると目尻の涙に見えるのだとか。私が観た中では「當麻」の中将姫とか「葵上」の六条御息所あたりで使われていた。

世阿弥自筆能本 「松浦之能」(応永10年)、「アコヤノ松之能」(応永34年)、「布留之能」(応永35年)

自筆本だけど復元とある。どういう意味なんだろう?一昨年から去年にかけて、国立能楽堂でこれらの復曲公演があったけど、布留のみは都合が付かず、未見。残念。


ほかにも、『風姿花伝』などのいくつか自筆本が展示されている。世阿弥という人は、観世大夫として座を代表し、当時を代表する看板役者として舞台に立ち、数多の名作を作り、過去の曲を作り直し、さらに子孫に芸を伝える数々の伝書を書き…と、本当に超人的な仕事をした人だなあと改めて思う。